ボードゥアン4世(5)
文字数 793文字
1183年ナザレで行われた家族会議で王は王国の摂政権をギーに委任したが、たちまち無能さをさらけ出して摂政権を取り上げられ、11月にわずか5歳のボードゥアン5世の即位が宣言された。1185年ギーはアスカロンの領地に妻のシビーユを連れ出し、出頭を促す王の命令を無視するだけでなく、エルサレム王に帰服したベドウィン族を虐殺したので、激怒したボードゥアンは王国の全権をギーの敵トリポリ伯レーモンに委譲した。
アラビアの史家エル=イマードは「このらい病持ちの子は、その権威を敬わせることができた」と書いている。十字軍の歴史を書いたルネ・グルッセは「その苦痛と克己に満ちた姿は、十字軍の全史を通じても、おそらくは最も高貴な姿であろう。英雄の雄姿は膿と瘡におおわれながらも、聖人の面影を宿している。このフランスが生んだ王の純粋な肖像を不当な忘却の彼方から引き出して、マルクス・アウレリウス賢帝やルイ聖王のかたわらに置きたい」と称賛している。