カスペの妥協(2)

文字数 1,238文字

カスペの妥協の時のアラゴン王の候補者の続きです。説明部分はラミロ2世に読んでもらいます。作品集には下の画像から入ってください。
ガンディア公アルフォンソ1世(1332ー1412、78歳)ハイメ2世の男系の孫。マルティン1世の父ペドロ4世の従弟にあたる。候補者の中で最高齢である上、系図でも上位であった。アラゴン王候補の最右翼とされていたが、1412年に死去した。
ガンディア公という名前が聞いたことがあると思ったら1485年にガンディア公領はボルジア家に渡っていて、チェーザレ・ボルジアの弟のフアン・ボルジアが第2代ガンディア公になっていました。
第2代ガンディア公フアン・ボルジア(1474?ー1497)の肖像画です。彼は後の教皇アレクサンデル6世の子でチェーザレの兄か弟か説が分かれています。
教皇アレクサンデル6世は私達の時代はかなり評判が悪い。
聖職者でありながら何人も子供がいるとはけしからぬ。
フアン・ボルジアは1493年にスペイン貴族マリア・エンリケス・デ・ルナと結婚して妃マリアとの間には2人の子がいました。
私と同じフアンという名前ですが、なんか目つきが悪いです。
漫画では遊んでばかりいて、ドラマでは放蕩三昧、フアン・ボルジアは真面目な人ではありませんでした。
同じ不真面目でも私とはタイプが違います。私は芸術にお金を使ったり鷹狩りを楽しんだりしていました。
1497年、フアン・ボルジアはローマ市内のゲットー近くで何者かに暗殺され遺体はテヴェレ川に浮かんでいました。
犯人は見つかったのですか?
それがよくわかっていません。チェーザレのしわざとも言われています。
悪名高いボルジア家だ。それぐらいのことをしてもおかしくない。
でもフアン・ボルジアの長男フアン・ボルハ・イ・エンリケスが3代目ガンディア公を継いで、その長男のフランシスコ・ボルハは第3代イエズス会総長でカトリック教会の聖人でもあります。
フアン・ボルジア本人は兄に暗殺されたかもしれないのに孫はイエズス会の総長となり聖人になった。随分極端ですね。
それはかなり後の時代のことです。話をカスペの妥協でのアラゴン王候補者、ガンディア公アルフォンソ1世に戻します。彼はハイメ2世の男系の孫でペドロ4世の従弟にあたりました。
男系の孫というのは王の候補としてよいかもしれない。女王や王女など女系の場合、結婚相手に王位を乗っ取られる危険がある。ナバラ女王ブランカと結婚したフアンは王位を息子のカルロスに譲らずに親子の対立が続いた。
私の死後ですが、娘のビオランテはそのころまだ独身でしたが、王位は弟のマルティンが継ぎました。娘のビオランテはその後アンジュー家に嫁ぎました。結婚してからはアラゴンの王女というよりもアンジュー家と子供たちを守るために奮闘したのだと思います。
ガンディア公アルフォンソ1世は男系の孫だったので有力な候補でしたが、1412年に亡くなったため、王に選ばれることはありませんでした。
そしてまだ他にも候補者はいました。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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