フィリップ4世(1)
文字数 1,246文字
僕は前にテンプル騎士団のことと関係してフィリップ4世について調べたことがあります。その時は出来事を追うのが精一杯でしたが、今は周辺の人物や当時の状況がわかってきたので、前よりもよく理解できると思います。
ローマ教皇とも対立し、フランス国内の支持を得てアナーニ事件を起こし、最終的には教皇権を王権に従えて教皇庁をアヴィニョンに移し(アヴィニョン捕囚、または「教皇のバビロン捕囚」)、また、テンプル騎士団を異端として弾圧し、解散に追い込み、後世「教皇を憤死させた王」として一部より悪評を得ることとなった。これらはそれぞれ、教会の徴税権に対する権益拡大と騎士団財産の没収を意味した。また、フィリップはパリ高等法院を創設して売官できるようにしたり、三部会を設置して市中からも資金を吸い上げたりした。フィリップは封建社会の頂点に立ち、国家の防衛や国益のために従来の慣習を超えて行動した。
1276年に兄のルイが亡くなったため、幼少時より次期フランス王として育てられた。1284年にナバラ女王ジャンヌ(フアナ1世)と結婚し、ナバラ王国とシャンパーニュ伯領を支配下に収めた。シャンパーニュ伯領は本領であるイル=ド=フランスと隣接しているため、両者の統合を図ることにより王の直轄領は非常に強化されることになった。