フィリップ4世(1)

文字数 1,246文字

フィリップ4世について話題にします。作品集は下の画像から入ってください。
僕は前にテンプル騎士団のことと関係してフィリップ4世について調べたことがあります。その時は出来事を追うのが精一杯でしたが、今は周辺の人物や当時の状況がわかってきたので、前よりもよく理解できると思います。
フィリップ4世(1268年ー1314年)はフランス王(在位1285年ー1314年)、およびナバラ王としてはフェリペ1世(在位1284年ー1305年)整った顔立ちのため「端麗王」と称される。
フィリップ4世は余の息子ハイメ1世の娘イザベルの子である。アラゴンとフランスの血が混ざり合った時、最も美しい子が生まれる。
ペドロ2世はフィリップ4世の話が出る度に同じこと言っています。
官僚制度の強化に努め、やがて絶対王政へとつながる中央集権化の第1歩を踏み出した。対外的には、毛織物業で栄え経済的に豊かであったフランドル地方の支配を目指し、フランドル諸都市の市民と激しく争った。
フィリップ4世はフランスの歴史を大きく変えています。
ローマ教皇とも対立し、フランス国内の支持を得てアナーニ事件を起こし、最終的には教皇権を王権に従えて教皇庁をアヴィニョンに移し(アヴィニョン捕囚、または「教皇のバビロン捕囚」)、また、テンプル騎士団を異端として弾圧し、解散に追い込み、後世「教皇を憤死させた王」として一部より悪評を得ることとなった。これらはそれぞれ、教会の徴税権に対する権益拡大と騎士団財産の没収を意味した。また、フィリップはパリ高等法院を創設して売官できるようにしたり、三部会を設置して市中からも資金を吸い上げたりした。フィリップは封建社会の頂点に立ち、国家の防衛や国益のために従来の慣習を超えて行動した。
随分いろいろなことをしているではないか。それでもフランス大好きなフアン1世はフランスの基礎を築いた素晴らしい王だと思っているのか?
ちょっと待ってください。私はそんなことは思っていません。
1268年、フィリップ3世と最初の王妃イザベル・ダラゴンの子として生まれる
何度も言っているが、イザベル・ダラゴンは余の息子ハイメ1世の娘である。
1276年に兄のルイが亡くなったため、幼少時より次期フランス王として育てられた。1284年にナバラ女王ジャンヌ(フアナ1世)と結婚し、ナバラ王国とシャンパーニュ伯領を支配下に収めた。シャンパーニュ伯領は本領であるイル=ド=フランスと隣接しているため、両者の統合を図ることにより王の直轄領は非常に強化されることになった。
フィリップはジャンヌと結婚することでナバラ王となり、それはジャンヌが亡くなるまで続きます。
翌1285年に、アラゴン十字軍の遠征の帰りに病没した父フィリップ3世の後を継いで即位した。なお、アラゴンとの争いはナポリ王カルロ2世に対する義理立てであり、1291年に条約を結んで集結している。
フィリップ4世は17歳という若さでフランス、ナバラの王となり、シャンパーニュ伯にもなっています。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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