マーガレット・ダグラス(4)
文字数 1,119文字
1548年6月、ラフ・ウーイングの戦争中、マーガレットの父アンガス伯が、彼女の異母兄弟のジョージ・ダグラスやほかの家族がダルケイス宮殿で捕らえられたことを書き送ってきた。アンガス伯はマーガレットとその夫レノックス伯が、捕虜としてよく扱われるよう手配できると期待していた。レノックス伯は義父は他に助力を求めた方がよいと書いて、サマセット公エドワード・シーモアに手紙を転送した。1549年3月、マーガレットはレスル城から父に、彼が夫に会うことを避けていると不満を書き送った。彼女は父に”なんと記念すべきことだ!”と彼女の結婚を認めることを通して、名誉の平和を求めるように頼んだ。
イングランド女王メアリー1世の治世中、マーガレットはウェストミンスター宮殿に部屋を持っていた。1553年11月、女王は大使シモン・ルナールに、「マーガレットが王位を継承するのに最もふさわしい」と語った。マーガレットは1558年12月のメアリー女王の葬儀の喪主を務めた。エリザベス1世の王位継承にあたり、マーガレットは、テンプル・ニューサンにある自宅がローマ・カトリック教会の陰謀の中心となっていたためヨークシャーに移った。
マーガレットは長男ダーンリー卿ヘンリーとその従姉のスコットランド女王メアリーを結婚させることに成功し、こうしてイングランドの王位継承権を一体にした。エリザベス1世はこの結婚を良しとせず、1566年にマーガレットをロンドン塔に送ったが、翌1567年に息子のダーンリン卿が殺害されると彼女は釈放された。マーガレットは義理の娘のメアリー女王を非難したが、結局、後に和解させられた。