アキテーヌ公ギヨーム9世(6)
文字数 912文字
1101年の十字軍で生き残りアンティオキアの宮廷に逗留していた時に、アラブの吟遊詩人達から影響を受けたという説があり、ギヨーム9世が詩作に打ち込んでトルバトゥールとして姿を現すのはこの十字軍から戻って来た後のことであるとされる。一方彼の詩に、当時イベリア半島のほとんどを支配していたアラブのベルベル人に引っ掛けて自分を述べている箇所があり、このことからイベリア半島のイスラム文化から影響されたのではないかという説もある。晩年は若い頃の行状を改心したか、修道院に入って過ごしたとされ、それを物語るかのように1篇の敬虔な詩が残されている。
晩年の改心を思わせる出来事はダルブリッセルの弟子フーシェへ狩猟用の土地付近の所領地オルベスチエを寄進したこと、1117年に2度目の破門を解かれ教会と和解したこと、イベリア半島のサンティアゴ・デ・コンポステーラへ巡礼したことなどが挙げられる。これは加齢による精神の変化があったと推測され、家族におよんだフォントヴロー修道会の熱意がギヨーム9世にも影響、信仰に目覚めたのではないかとされている。
ギヨーム9世が残した詩は、晩年の1篇を除いて、性格を示すように自由で直接的でエロチックな諧謔に満ちている。4篇はトルバドゥールの詩に特有の定型化された形を取るが、その詩の内容はトルバドゥールの代表的な主題である形式化された宮廷愛に対して皮肉る姿が見え、彼以前に既に多くのこの形の詩歌が存在していたことをうかがわせる。11篇の詩が残されているが、そのうち、曲は部分的にしか残されていない。