アキテーヌ公ギヨーム9世(1)

文字数 825文字

アキテーヌ公ギヨーム9世についてです。作品集は下の画像から入って下さい。
この画像は前にも使われていますが、ようやく本人ですね。
ギヨーム9世(1071年ー1126年)は中世フランス王国の貴族でアキテーヌ公ギヨーム9世(在位1086年ー1126年)及びポワティエ伯ギヨーム7世(在位同)、ガスコーニュ公(在位同)であった人物。
かなり広い土地を支配していますね。
アキテーヌ公ギヨーム8世と3人目の妃ブルゴーニュ公ロベール1世の娘イルドガルドの子。ギヨーム・ド・ポワチエ、オック語ではギエム・デ・ペイチェとも呼ばれる。詩人として知られ、最初の「トゥルバドール」とも呼ばれる。ただし、11篇の詩(ミンネザング)が伝わっているものの楽譜が残っていないため、音楽の実体については不明である。
私は芸術が大好きで吟遊詩人などの保護もしましたので、祖先にこのような人がいたのはうれしいです。
どうせ戦いでは強くなく女に夢中になってばかりいるトラブルメーカーだろ。祖先にこのような人物がいたというのは恥ずかしい。
私達アラゴン王家の子孫の中で、ペドロ2世が1番ギヨーム9世に似ていると思います。
1071年、ギヨーム8世とイルドガルド夫妻の子として誕生。当時のポワティエ家はポワティエ・ガスコーニュの他、リムーザンとアングーモワなどを含む、ロワール川からピレネー山脈、トゥールーズ伯領の国境付近にまでおよぶ、フランス国王を凌ぐほどの広大な領土を持つ大貴族であり、フランスの3分の1を占めていた。1086年の父の死でこれらを相続したギヨーム9世はトゥールーズ伯領併合へ野心を燃やす一方で、リモージュのサン=マルシェル修道院で勉強し身に着けたラテン語の教養が詩人としての素地を形成した。
当時も教育を受けるのは主に修道院で、ラテン語が重要だったのですね。
15歳で父の後を継いだため、治世の初期はギヨーム・ル・ジュヌ(若公)と称された。
ギヨーム9世は若くして広大な領土を引き継ぎました。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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