アキテーヌ公ギヨーム9世(1)
文字数 825文字
アキテーヌ公ギヨーム8世と3人目の妃ブルゴーニュ公ロベール1世の娘イルドガルドの子。ギヨーム・ド・ポワチエ、オック語ではギエム・デ・ペイチェとも呼ばれる。詩人として知られ、最初の「トゥルバドール」とも呼ばれる。ただし、11篇の詩(ミンネザング)が伝わっているものの楽譜が残っていないため、音楽の実体については不明である。
1071年、ギヨーム8世とイルドガルド夫妻の子として誕生。当時のポワティエ家はポワティエ・ガスコーニュの他、リムーザンとアングーモワなどを含む、ロワール川からピレネー山脈、トゥールーズ伯領の国境付近にまでおよぶ、フランス国王を凌ぐほどの広大な領土を持つ大貴族であり、フランスの3分の1を占めていた。1086年の父の死でこれらを相続したギヨーム9世はトゥールーズ伯領併合へ野心を燃やす一方で、リモージュのサン=マルシェル修道院で勉強し身に着けたラテン語の教養が詩人としての素地を形成した。