ダーンリー卿ヘンリー・ステュアート(1)

文字数 1,178文字

ダーンリー卿ヘンリー・ステュアートについて話題にします。作品集は下の画像から入って下さい。
ダーンリー卿ヘンリー・ステュアート(1545年ー1567年)は、スコットランド女王メアリーの2人目の夫、王配。初代オールバニ公、ロス伯。スコットランド王ジェームズ6世(イングランド王ジェームズ1世)の父。
ヘンリー・ステュアートは若くして亡くなっていますね。
ヘンリーは1545年にイングランドのヨークシャーで、第4代レノックス伯マシュー・ステュアートとヘンリー8世の姪マーガレット・ダグラスとの間に生まれた。父レノックス伯は、父系では王家の先祖でもある第4代王室執事長アレグザンダー・ステュアートの末裔でステュアート家の一員であり、また父方の祖母エリザベス・ハミルトンがスコットランド王ジェームズ2世の外孫であるため有力な王位継承権も持っていた。しかし、1544年にイングランド軍を率いてダンバートン城を占領しようとしたため、スコットランドから追放されていた。イングランドへ逃れたレノックス伯はヘンリー8世に快く迎えられ、姪のマーガレットとの結婚を許された。
なぜマーガレットが突然スコットランドからの亡命者と結婚したのか疑問に思っていましたが、これでわかりました。
母マーガレットはヘンリー8世の姉マーガレットとアンガス伯アーチボルド・ダグラスの娘で、女王メアリーの父ジェームズ5世の異父妹であった。マーガレット・ダグラスは野心家の女性で、息子ダーンリー卿と女王を接近させようと、1560年にメアリーの夫であったフランソワ2世の弔問にダーンリー卿を赴かせた。メアリーがスコットランドに戻ってくると、レノックス伯一家は復権を許され、帰国も認められた。先にスコットランドへ帰国していたレノックス伯は、息子のダーンリー卿を故郷に呼び寄せた。
母マーガレットの側から調べていると、息子を殺された気の毒な母という印象でしたが、メアリー女王との結婚に関してはマーガレットもかなり関わっていたようです。
1565年2月18日、ウェミース城でメアリーとダーンリーは再会した。メアリーは従弟ダーンリーに一目惚れした。メアリーは彼の、自分より長身で均整のとれたすらっとした体つき、ロンドン宮廷仕込みの洗練された優雅な物腰が気に入った。またダーンリーは陽気で、メアリーと同じく狩猟好きでリュートや詩やダンスが得意であり、このような所も2人は共通しており、メアリーの好みに合っていた。さらに彼はステュアート家の血を引くカトリックであり、しかもヘンリー7世の曾孫で強力なイングランド王位継承権を持っているのも好都合だった。
メアリー・ステュアートについては、2番目の夫にダーンリー卿を選んだのが間違いで身の破滅を招いていると思っていましたが、このような状況では恋に落ちるのも無理ないのかもしれないです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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