クラウディオス・プトレマイオス(14)
文字数 1,043文字
プトレマイオスはこれら幾何学的な理論に加え、視覚論の書物にふさわしく、本書は様々な錯視を扱い、照度、色彩、大きさ、形、動き、両眼視に関する多くの現象に説明を加えている。また、錯視の原因については、「光学」的な要因によるものと、認識論的な要因によるものとに分けて考えた。太陽や月が地平線近くにあると見かけの大きさが大きく見える「月の錯視」については、後者に分類しているが、それは方向性としては正しい。錯視を扱った第二巻には、複数の色が塗られた物体を回転させると、それらが混ざった色が観測されることが記されているが、後年ジェームズ・クラーク・マクスウェルが混色の実験で用いるのは、正にこの方法であった。
本書は古代の光学の最高峰であったが、『アルマゲスト』『テトラビブロス』『ハルモニア論』などが早々に教科書的な地位を獲得したのとは正反対に、古代においては引用も言及も非常に少ない。古代末期において、天文学の教程にも組み込まれて広く学ばれたのは、ユークリッド『光学』だった。この傾向は中世のイスラム圏にも引き継がれた。本書を利用した研究は10世紀にようやく現れる。まず、光のスネルの法則を先取りしたイブン・サフルの屈折に関する研究は、プトレマイオスの影響を抜きには考え難い。また、光学を刷新したイブン・ハイサムの『光学の書』は、その構成が、(新たに眼球の構造を論じている他は)プトレマイオス『光学』をほぼなぞっていることからもわかるように、影響が顕著である。ただし、イブン・ハイサムが光を視覚の主要因と特定して光学を大きく書き換えたため、この後はイスラム圏においてもラテン西欧においても、直接の影響は限定的である。
『視学(光学)』はラテン語訳のみで残るが、視覚論の基礎を含んだであろう第1巻を欠き、屈折の理論を展開する第5巻は、後半部が失われている。また、文意を尽くさない章句もある。ラテン語への翻訳は、今は失われたアラビア語版から、パレルモのエウゲニウスにより1154年頃になされた。イブン・ハイサムの言及と照らし合わせると、現存のラテン語版と、当時流布したアラビア語版は、基本的には同じ構造をしていたと思われる。