ジェームズ1世(イングランド王)(19)
文字数 1,032文字
・ヘンリー・フレデリック(1594年ー1612年)王太子(ロスシー公、コーンウォール公、プリンス・オブウェールズ)のまま早世
・エリザベス(1596年ー1662年)プファルツ選帝侯フリードリヒ5世妃
・マーガレット(1598年ー1649年)
・チャールズ(1600年ー1649年)イングランド王およびスコットランド王チャールズ1世
・ロバート(1602年)
・メアリー(1605年ー1607年)
・ソフィア(1607年)
先代のエリザベス1世は倹約家であったことに加えて、本人以外に「王族」を持たなかったために宮廷経費が最低限であったのに対して、ジェームズ1世には既に王妃アンの他に7人の子供たちがおり、宮廷経費の増大は避けられなかった。
特に王妃アンは、金髪が美しい美女であったが、お祭り好きの浪費家で知られた。その浪費癖は既にスコットランド時代から知られており、元々裕福とは言えないスコットランド王質の財政を脅かすほどだった。それはイングランドに移ってからも変わることなく、パーティーに舞踏会、そしてイングランド南西部のバースへの大旅行など、その浪費ぶりは凄まじいものがあった。そのため、1619年に王妃が他界すると莫大な負債が残され、ジェームズ1世は悩まされることになった。彼女については「空っぽの頭」という者までいた。
王妃の浪費というのはよく問題にされますが、王妃という存在は他国から政略結婚で嫁いでくることが多く、また贅沢をすることが国の豊かさを見せつけることでもあったわけです。そして1度浪費してしまうと、元に戻すのは難しくなります。