マンフレーディとシチリアの晩鐘
文字数 1,436文字
シチリアはフリードリヒ2世の庶子マンフレーディが王になりました。でもマンフレーディは教皇の支援を受けたフランス王ルイ9世の弟シャルル・アンジューとの戦いで戦死してしまいます。そしてシチリアはアンジュー家が支配することになりました。
皇帝と教皇の争いでは、皇帝フリードリヒ2世もかなり残酷なことをしています。血みどろの争いがあったわけですが、それでも争いに巻き込まれたハインリヒ7世の異母弟やその子ども世代の運命は悲惨でした。コンラート4世の子は処刑され、マンフレーディの2度目の妻と5人の子は城に幽閉され、妻と男の子4人はみんな城の中で亡くなっています。