マンフレーディとシチリアの晩鐘

文字数 1,436文字

今日は2000字ファンタジー小説に新しく投稿した『マンフレーディとシチリアの晩鐘』についてのお知らせです。下の肖像画から作品のページに入ってください。
3日間連続投稿だったので、かなり疲れました。
僕も3日連続で夜外出したので疲れたよ。
誰と一緒に夜外出していた?
ハインリヒ7世と一緒です。すみません、修道院長には内緒にしてください。
当たり前だ!亡霊と一緒に3日もフラフラと出歩いて昼間の仕事をさぼったなんていうことが院長の耳に入ったら私まで叱られる。
でも、僕はその3日間で生きた歴史を学びました。ニコラス先生は『シチリアの晩鐘』という事件はご存じですか?
よく知っている。たくさんの画家が絵に描いている。
『シチリアの晩鐘』の絵で有名なものをここで紹介します。
『シチリアの晩鐘』事件がどうして起きたか、先生はご存じですか?
アンジュー家の兵士がシチリアの女性に暴行し、それをきっかけにシチリア住民が暴動を起こして多数のフランス系住民が殺された事件だ。
シチリアはフリードリヒ2世の庶子マンフレーディが王になりました。でもマンフレーディは教皇の支援を受けたフランス王ルイ9世の弟シャルル・アンジューとの戦いで戦死してしまいます。そしてシチリアはアンジュー家が支配することになりました。
マンフレーディは余と年が離れている異母弟である。彼はリュートの名手であったが、やはり皇帝と教皇の争いが原因で死んでいる。
皇帝と教皇の争いでは、皇帝フリードリヒ2世もかなり残酷なことをしています。血みどろの争いがあったわけですが、それでも争いに巻き込まれたハインリヒ7世の異母弟やその子ども世代の運命は悲惨でした。コンラート4世の子は処刑され、マンフレーディの2度目の妻と5人の子は城に幽閉され、妻と男の子4人はみんな城の中で亡くなっています。
権力争いは残酷なものである。幼い子供でも容赦なく幽閉され、殺されている。
それでも、マンフレーディの最初の妻との間の娘のコンスタンサはアラゴン王ペドロ3世と結婚しました。
余の母上と同じ名前か。
余の妹コンスタンサと同じ名前である。そしてペドロ3世というのは・・・
はい、ハイメ1世の子、つまりペドロ2世の孫にあたります。
ペドロという名前を受け継いでいるからには強いに違いない。
はい、アラゴンの歴史の中でも偉大な王として有名です。
シチリア晩鐘事件の後、暴動で混乱しているシチリアにペドロ3世がやってきました。そしてマンフレーディの娘コンスタンサはアラゴン王妃だけでなくシチリア王妃にもなるのです。
なんとめでたい話であることか。余の妹コンスタンサと同じ名前の王妃が、余の孫のペドロ3世の力で再びシチリアの王妃となった。アラゴン王国、そしてコンスタンサとペドロ、素晴らしい奇跡の物語だ。
どうも余には遠い時代のことなのでピンと来ないが・・・
ウエスカの鐘とかシチリアの晩鐘とか、鐘のついた事件が多いですね。
それは歴史の中で鐘の音が神に祈りを伝え、人々に時を伝える重要な役割を果たしているからだ。その鐘を利用して貴族を呼び集めた王の行為はいかがなものかと。
わかっておる。余は大きな鐘を作るとだまして貴族達を呼び集め、彼らを斬首した。その罪の大きさは自分が1番よくわかっている。
歴史の中で鐘はいつも重要な役割を果たしているのですね。
フェリペ、生きた歴史の勉強をするのはいいが、もう少し気をつけてくれ。
わかりました。
ウエスカの鐘、シチリアの晩鐘、どちらの事件も絵になっているにゃー。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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