ジェームズ1世(イングランド王)(2)
文字数 1,014文字
母は父の殺害事件の首謀者と疑われた第4代ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーンと同年5月15日に再再婚したことでスコットランド貴族の怒りを買い、7月24日に母は廃位されボスウェル伯は亡命、ジェームズは5日後の7月29日に1歳1か月でスコットランド王位に就いた。メアリーは翌1568年に再起を図ったが失敗しイングランドへ亡命、以後1587年に処刑されるまでジェームズ6世と会うことはなかった。
即位後、メアリー側の勢力とジェームズ6世を擁した勢力との間で、内戦が5年ほどの間続いた(メアリアン内戦)この内戦は1573年にイングランドがスコットランドへ援軍を派遣して介入、メアリー派が籠城するエディンバラ城をジェームズ6世派が落とし残党を処刑することによって終息した。
ジェームズ6世の即位後しばらくの間は摂政が置かれ、17歳になるまで実質的な政務を執ることはなかった。最初の摂政はメアリーの庶出の兄で王の母方の伯父に当たる初代マリ伯爵ジェームズ・ステュアートであったが、1570年にメアリーの支持者によって暗殺された。