スコットランド王ロバート1世(3)

文字数 1,224文字

スコットランド王ロバート1世についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
1296年8月、ロバート親子はベリック・アポン・ツイードでエドワード1世に対して臣従の誓いをしたものの、カーライルで更新する際にこの宣誓は破棄され、翌年にロバートはエドワード1世に対するスコットランドの反乱を支援した。
スコットランドではイングランドのエドワード1世に対する反乱が起きていたのですね。
翌1297年夏、ロバートのもとに、エドワード1世配下の軍司令官で自身とも関係のあったサリー伯ジョン・ド・ワーレンを支援するようにとの急な手紙が届いたが、ロバートはこの命に従おうとはせず、逆にエドワード1世への反乱を支持し続けた。
反乱を支持し続けたら、ロバート自身の立場が危なくなりませんか?
7月7日にロバートとその盟友はアーヴィンの降伏と呼ばれる条約によってエドワード1世と妥協した。スコットランドの領主たちは自らの意思に反して海の彼方の者に仕えることを良しとせず、エドワード1世に対する忠誠の宣言への返答としての新たなる暴力的活動を許容するようになった。グラスゴー司教、執事長ジェームズ及びアレグザンダー・リンゼイ卿が、ロバートが自身の娘であるマージョリーを人質として差し出すまでの間、その保証人となるや(ただしロバートは人質を差し出すことはなかったが)、ロバートは即座に再びスコットランドのための積極的な闘争を行った。
スコットランドの王位を巡る争いの中、イングランド王エドワード1世はなぜここまで介入したのでしょうか?混乱の中でスコットランドを支配下に置こうとしたのでしょうか?
スターリング・ブリッジの戦いの後の短期間に、ロバートは再びスコットランドを離れてアナンデイルの地を荒廃させ、エアにあったイングランドの城塞を焼き払っている。しかし、エドワード1世がフォルカークの戦いで勝利して舞い戻ってくると、ロバートが有していたアナンデイルとキャリックの両地は没収され、エドワード1世の配下の者に支配権が委ねられた。
複雑な状況になっていますね。
フォルカークの敗北を受けてウィリアム・ウォレスが「スコットランドの守護者」の地位を辞すると、ロバートとジョン・カミンが”共同の守護者”という形で後釜に座ったものの、両人ともその意見の相違から面識は全くなかった。カミンは、ジョン・ベイリャルの甥でかつその支持者であり、さらには何人ものスコットランド王位請求権者の一人であったことから、ロバートとは敵対関係にあったのである。1299年にはセント・アンドルーズ司教ウィリアム・ランバートンが、ロバートとカミンとの間を取りなすことが出来るように、3人目の、そして中立した形での「守護者」の地位に任命された。翌1300年にロバートは”共同の守護者”の地位を最終的に辞任して、ギルバード・ドゥ・アンフラヴィルが後を継いだ。
スコットランドの王位を巡る争いはかなり複雑なことになっています。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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