第4代ボスウェル伯爵ジェームズ・ヘップバーン(1)
文字数 829文字
ジェームズはスコットランドの名門貴族ボスウェル伯家に生まれた。曽祖父はスコットランド国王の執事であり、艦隊司令部の総督、エディンバラの高等行政官・国境地帯の長官を兼任した。祖父はこれらの役職を引き継いだが、イングランドとの戦いで若くして亡くなったという。
父パトリックは素行が悪く、多額の借金を抱え、報酬のいいイングランドに雇われることもあったという。また、国境地帯の盗賊団と一仕事したため、投獄されたこともあったらしい。その後はイングランドに亡命したが、王太后メアリー・オブ・ギーズの恩赦を受けて職務にも復帰し、宮廷に迎え入れられた。その後1556年、盗賊団との小競り合いで45歳で命を落としたという。
パトリックは、当時未亡人となっていたメアリー・オブ・ギーズと結婚できるかもしれないと勝手に思い込み、1543年の秋に妻のアグネス・シンクレアと離婚した。そのため、ジェームズは7歳の時に大叔父のマリー大司教に引き取られ、妹のジャネットは母アグネスに引き取られた。
彼は大変な読書家で、兵法書や軍事史の知識をことごとく習得したという。また、フランス語やイタリア語も習得し、読み書きさえおぼつかない有様だった当時の無教養な他のスコットランド貴族たちとは大きな差があった。自然科学にも深い関心を寄せていたという。