ウィリアム2世(1)
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ウィリアム2世(1060年頃ー1100年)は、ノルマン朝イングランドの第2代国王(在位1087年ー1100年)フランス名はギヨーム2世。ウィリアム征服王とマティルダ(フランドル伯ボードゥアン5世の娘)の三男で、ロベール2世の弟、ヘンリー1世の兄。鬚が赤毛であったことから「赤顔王」と呼ばれる(赤ら顔に由来するという説もある)
父の信頼が厚かった高僧ランフランク(1070年にカンタベリー大司教に就任)の教育を受けて育ったルーファスは、1087年、父がノルマンディーで危篤状態に陥ると、イングランド王位を狙っていた兄ロベールに先んじて、父の死を見届けることもなく9月26日、ウェストミンスター寺院で戴冠(ロベールはノルマンディー公となった)兄ロベール派の貴族を抑えてイングランド王の地位を確立した。
スコットランド王マルカム3世が北部イングランドに侵攻すると逆に討ち取り、1094年にマルカム3世の息子ダンカン2世を支持してドナルド3世(マルカム3世の弟)を廃位させ、同年にダンカン2世が暗殺されてドナルド3世が復位すると1097年にダンカン2世の異母弟エドガーに援助を与えてドナルド3世を廃位、スコットランドを従属させた。
しかし、父程の器量を持ち合わせていなかったウィリアム2世は、即位2年後に後見役のランフランクが亡くなると放蕩・乱脈の限りを尽くすようになった。また、ランフランク死後13年たって任命したカンタベリー大司教のイタリア人アンセルムスの解任をめぐって、教皇領を没収しローマ教皇ウルバヌス2世と対立した。
1100年、ニューフォレストで狩猟中に部下の放った矢が当たり、あっけなく死去した。独身で子が無かったため、王位は弟のヘンリー1世が継承した。ちなみに、彼は男色家であったと長きにわたって考えられている。