スコットランド王ロバート1世(17)
文字数 1,100文字
スコットランド王ロバート1世についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
ロバート1世の嫡子には、最初の妻であるイザベラ・オブ・マーとの間に
・マージョリー・ブルース、第8代王室執事長ウォルター・ステュアートと結婚。2人の間の息子がロバート2世(ステュアート朝初代国王)
ロバート2世の代からスコットランドはステュアート朝になるのですね。
2番目の妻であるエリザベス・ドゥ・バラとの間に
・マーガレット、サザランド伯ウィリアム・ドゥ・モラヴィアと1345年8月2日から9月28日の間に結婚し、ジョン(1346年ー1361年)をもうける。
・マティルダ(モード)最初にトマス・アイザックと結婚、2番目にケルソランドの自由男爵の第5大領主であるリチャード・ドゥ・ケルソと結婚。
・デイヴィッド2世、幼少で父の王位を継承する。
・ジョン、1327年10月に誕生するものの早世。リスネス・プライオリーに埋葬。
マージョリーが生まれたのが1296年頃、デイヴィッド2世が生まれたのが1324年なので、年齢にかなり差があります。
ロバート1世には認知していない6人の庶子がいた
・ロバート、1322年にダプリン・ムーアの戦いで戦死
・ウォルター・オブ・オディストン・オン・ザ・クライド、父に先立って死亡
・マーガレット、ロバート・グレンと結婚、1364年には存命
・エリザベス、アバダルギーのオリファント氏族出身のウォルター卿と結婚
・クリスティーナ・オブ・キャリック、1329年には存命
・ナイジェル・オブ・キャリック、1346年のネヴィルズ・クロスの戦いで戦死
庶子たちの母の名は知られていないが、クリスティーナ・オブ・キャリックに関してはわずかな可能性が考えられる。ロバート1世の助言者であるバーボアの記述によれば、少なくともその母親には2人の可能性があるとのことである。
ロバート1世の兄弟にはエドワード、アレグザンダー、トマス、ナイジェル、姉妹にはクリスティーナ、イザベル(ノルウェー王エイリーク2世の妃、マーガレット、マティルダメアリーが、甥にはマー伯ドナルド2世と初代マレー伯トマス・ランドルフがいる。
ロバート1世の末裔には、その支持者からは王位僭称者とみなされているエドワード・ペイリャルを除く、後代の全スコットランド国王および1603年王冠連合以降の全イギリス君主が含まれている。多くの一族がロバート1世の子孫であることは明白ではあるが、それについての主張には議論の余地がある。
ロバート1世の生涯と血筋はスコットランドの歴史を大きく変えました。次回からデイヴィッド2世について調べていきます。
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