レーモン・ド・ポワティエ(1)
文字数 734文字
レーモン・ド・ポワティエ(1099年?ー1149年)はアンティオキア公国の支配者(在位1136年ー1149年)アキテーヌ公兼ポワティエ伯ギヨーム9世とフィリッパ・ド・トゥールーズの次男で、アキテーヌ公ギヨーム10世の弟。
アンティオキア公国の摂政だったボードゥアン2世とフルク5世に従い、レーモンは10歳のアンティオキア女公コンスタンスと結婚した。公国を思いのままにしようとしていた、コンスタンスの生母アリックスから幼い女公を法的にも引き離すためで、公国にとって救いの主だった。アリックスには美男のレーモンを彼女の夫にするように見せかけていたため、恥をかかされたと知った彼女は亡命した。
共同統治の最初の年から、東ローマ帝国皇帝ヨハネス2世コムネノスとの衝突に悩まされた。キリキア・アルメニア王国を取り戻すという名目で軍を南下させ、アンティオキアを包囲したのである。レーモンは皇帝に忠誠を誓わされ、領地を割譲させられた。替わりに、アンティオキア西部のイスラム領を得たら、レーモンへ分け与えるということになった。1138年、レーモンはヨハネス2世の遠征に加わることを強制された。