エルサレム女王シビーユ(1)
文字数 789文字
シビーユ(1160年頃ー1190年)は中世エルサレム王国の女王(在位1186年ー1190年)は、中世エルサレム王国の女王(在位1186年ー1190年)アモーリー1世の娘で、ボードゥアン5世の母。夫のギー・ド・リュジニャンと共同統治するが、治世中にハッティンの戦いで大敗し、エルサレムは陥落する。
エルサレム王フルクとメリザンドの次男アモーリー1世とアニエス・ド・クルトネー(旧エデッサ伯ジョスラン2世の娘)の間に生まれる。弟が後のボードゥアン4世。しかし、アモーリーの兄ボードゥアン3世が亡くなり、アモーリーが王位を継ぐことになると、旧エデッサ伯の影響が強くなることを恐れた在地諸侯によってアニエスとは離婚(婚姻の無効)させられた。父アモーリー1世はその後ビザンツ帝国との同盟のため皇女マリア・コムネナと結婚し、間に異母妹イザベルが生まれている。
シビーユは祖母メリザンドの妹で修道尼のイヴェットに引き取られ、女子修道院で育てられた。しかし、弟のボードゥアン4世がハンセン病で子供が作れないことが明確になると、推定王位継承者として夫選びが始まり、1176年にモンフェッラート侯家のグリエルモと結婚したが、翌年グリエルモが妊娠したシビーユ(この時身籠っていたのが後のボードゥアン5世)を残して亡くなると後継争いは再び混沌とし、新来十字軍士を中心とする宮廷派と在地諸侯を中心とする貴族派の勢力争いに巻き込まれることになる。