初代レノックス公爵エズメ・ステュワート(2)

文字数 941文字

初代レノックス公爵エズメ・ステュワートについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
エズメ・ステュワートは美男子であり、マナーが洗練されていたため、少年王ジェームズ6世を魅了した。
フランス人とかフランス帰りという人は他の国の王侯貴族を夢中にさせる魅力を持っているようです。ここにいるアラゴンの王様、ラミロ2世、ペドロ2世、フアン1世、みんなフランス人の女性と結婚しています。
余はフランス人だからという理由で結婚したわけではない。モンペリエの領土が欲しくて結婚したのだから、結婚後は王妃を遠ざけていた。
随分酷いですね。私はフランス人の女性と2回結婚しましたが、それぞれ愛していました。フランス人の女性は素晴らしいです。
愛していたというよりも尻に敷かれていたのだろう。だからアラゴンの財政を傾けて不真面目王などというあだ名をつけられた。
アンガスのアーブロウス修道院の領地を与えられ、1580年3月5日にはレノックス伯爵とダーンリー=オウビニー=ダルキース卿、1581年8月5日にはレノックス公爵、ダーンリー伯爵、オウビニー=ダルキース=トーボルトン=アバダー卿に叙せられた。これら5つの爵位はいずれも直系の男系男子に相続させる規定が付いたスコットランド貴族爵位である。
随分たくさんの爵位を持っていますね。
奸計をめぐらし、1581年1月にはモートン伯にダーンリー卿暗殺の罪を着せて、モートン伯を失脚、処刑においやり代わって摂政に就任した。
奸計をめぐらすのがうまいのは、サン・バルテルミの虐殺を経験しているからでしょうか?フランスでこのような事件が起きたなんてショックです。
しかしこの強引な権力奪取はモートン伯を支持するプロテスタントの恨みを買い、カトリック再興への警戒感が高まった。そして翌1582年には初代ガウリー伯ウィリアム・リヴェンらプロテスタント貴族がジェームズ6世を誘拐するリヴェン拉致事件を起こすに至り、レノックス公はフランスへの亡命を余儀なくされた。

翌1583年5月26日にフランス・パリで客死した。

メアリーが失脚しジェームズ6世が王位を継いだ後も、スコットランドではカトリックとプロテスタントの対立が続いていたようです。次回からジェームズ6世について調べてみます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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