神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世(3)

文字数 927文字

神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
イタリア遠征のとき、詩人で有名なダンテは『帝政論』で彼を絶賛している。ダンテによる理想化は、後世の人々の皇帝に対するイメージに大きな影響を与えた。
ダンテはとにかくハインリヒ7世を崇拝し絶賛したようです。
フィレンツェの政治家ディーノ・コンパーニはハインリヒに期待をかけ、その年代記の中で「神の子羊」「イタリアの矯正者」と呼びかけている。
同じ時代の有名な詩人と政治家に絶賛され、ハインリヒ7世はイタリアで有名になっていますね。
1292年にブラバント公ジャン1世の娘マルグリット(マルガレーテ、1276年ー1311年)と結婚し、1男2女をもうけた。
ブラバント公ジャン1世というのは1288年のヴォーリンゲンの戦いに勝利し、ルクセンブルク伯ハインリヒ6世を討ち取り、リンブルク公国を支配下に収めた人物です。
父を殺した敵の娘と結婚しているわけですね。本当に複雑に入り組んでいます。
・ヨハン(1296年ー1346年)ボヘミア王およびルクセンブルク伯。皇帝カール4世の父。

・マリー(1304年ー1324年)フランス王シャルル4世の妃。

・ベアトリクス(1305年ー1319年)ハンガリー王カーロイ1世の妃。


3人の子がそれぞれボヘミア王家、フランス王家、ハンガリー王家と婚姻関係を持ったというのはすごいですね。
ただマリーは難産の末に母子共に亡くなり、またベアトリクスも産褥で亡くなっています。
この時代は出産で亡くなるということが本当に多かったのですね。
ヨハンがボヘミア王(ハンガリーとポーランドの王も兼ねた)ヴァーツラフ3世の妹エリシュカと結婚してボヘミア王に選ばれたために、以後ルクセンブルク家はボヘミア王になります。
神聖ローマ皇帝としてイタリアで期待され、ルクセンブルク家を発展させた、ハインリヒ7世の生涯は短かったけど、歴史の流れを大きく変えた偉大な王でした。
そしてハインリヒ7世と孫のカール4世の神聖ローマ皇帝選出にはハインリヒ7世の弟でトリーア大司教になったバルドゥイン・フォン・ルクセンブルクが大いに貢献しています。次回はこのバルドゥイン・フォン・ルクセンブルクを話題にします。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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