ジョン・オブ・ランカスター(3)
文字数 991文字
1425年10月には弟グロスター公とその妻エノー女伯ジャクリーヌがエノー継承権を求めて同地へ進軍し、同じく同地の継承権を主張するフィリップ3世と対立した。ベッドフォード公にとってははた迷惑以外の何物でもなく、これによってベッドフォード公とフィリップ3世の同盟関係も怪しくなってしまった。
1426年には海軍司令官に就任した。1427年には本国でヘンリー6世の補佐をめぐって弟と義理の叔父ウィンチェスター司教ヘンリー・ボーフォートの対立が深まったため、急遽帰国してその仲裁に当たっている。バット議会を招集することで両者の和解にこぎつけた。
1428年にデルフトでジャクリーヌとフィリップ3世の間に協定が結ばれ、フィリップ3世がジャクリーヌのエノー、ホラント、ゼーラントの権利の相続人となった。この際にベッドフォード公はフィリップ3世に対してジャクリーヌ支援を放棄する代わりに対フランス戦争に参加するよう求めたが、フィリップ3世は拒否して動かず、中立的立場をとった。
ベッドフォード公は丁寧に後方を固めることを好む人で、フランス西部でノルマンディーの南隣にあるメーヌ・アンジュー・トゥーレーヌの征服が戦略目標だったが、戦線の膠着状態が続く中、主戦派の第13代ウォリック伯リチャード・ド・ビーチャムや第4代ソールズベリー伯トマス・モンタキュートから突き上げられてフランス中部のオルレアン包囲作戦を決定した。面の支配ではなく、南下してオルレアンという点の支配で一気にシャルル7世がいるブールジュの王宮まで侵攻する計画である。また戦局を緊迫化させることでフィリップ3世をいやおうなしに対フランス戦争に引きずり込めるという思惑があった。