教皇インノケンティウス3世

文字数 1,467文字

今日は歴史の流れを大きく変えた教皇インノティウス3世をテーマにします。作品集には下の肖像画から入ってください。
インノケンティウス3世(1161-1216)は第176代ローマ教皇(在位1198-1216)です。本名はロタリオ・ディ・コンティ、コンティ家は彼を含めて9人の教皇を出したことで有名です。
1つの家系から9人も教皇になるなんてすごいですね。
彼はパリ大学で神学、ボローニャ大学で法学を学び、29歳で枢機卿、37歳で教皇になりました。
教皇は年を取っているイメージがあるけど、かなり若い時に教皇になっています。
1198年、教皇になった年に後の皇帝フリードリヒ2世の後見になっています。
父上フリードリヒ2世は教皇と対立したが、教皇インノケンティウス3世には世話になっているのだな。
1202年には、イスラム勢力の中心だったアイユーブ朝でアル・アーディルが即位して反撃の兆しが見えたため、第4回十字軍を提唱します。結局この十字軍は1204年にコンスタンティノープルを攻撃して東ローマ帝国を滅ぼし、ラテン帝国を建国してしまいます。
ラテン帝国は別名ロマニア帝国とも呼ばれた。私の父は第4回十字軍の戦士で、私はロマニア帝国で生まれた。
イベリア半島でレコンキスタのためにキリスト教国家に団結を呼びかけ、1212年にナバス・デ・トロサの戦いでキリスト教諸国はムワッヒド朝に大勝します。
ナバス・デ・トロサの戦いには余も参加している。カスティーリャ王アルフォンソ8世、ナバラ王サンチョ7世、アラゴン王ペドロ2世がそろい、他にポルトガル王国やテンプル騎士団なども参加していた。
1209年にはフランス南部のアルビ派にアルビジョア十字軍を派遣して弾圧しています。
このアルビジョア十字軍で、余は南フランスの争いに巻き込まれ、カタリ派(アルビ派)に味方をしたということで教皇から破門され、その状態のまま戦死してしまった。何度も言っているが余は別にカタリ派の教義に共感したわけではない、義理の弟を助けようとしただけだ。
ペドロ2世は破門されたまま戦死していますが、アラゴンとカタルーニャは教皇インノケンティウス3世に訴えて、モンフォールに息子ハイメを引き渡させています。
余は破門されて恨みに思っているが、息子のハイメは教皇に助けられているのか。
そうですね、教皇インノケンティウス3世はいろいろなところで名前が出てきて、歴史に関わっています。
1210年にはアッシジのフランチェスコと会見し、フランシスコ会を承認しました。
1215年、第4ラテラン公会議で「教皇は太陽。皇帝は月」と演説し、1216年に55歳で亡くなりました。
教皇もまた聖職者であるはずなのに、そこまで各国に干渉して歴史の流れを変えていたのか。
「教皇は太陽。皇帝は月」という演説がすごいですね。この演説では完全に教皇の方が上になってしまいます。
そしてこの考えを後の教皇も受け継いだ。グレゴリウス9世の時代に教皇と皇帝は対立するようになった。
そしてその争いにハインリヒ7世も巻き込まれてしまった。ペドロ2世もアルビジョア十字軍があったからこそ戦争に巻き込まれ破門されたまま戦死している。インノケンティウス3世は教皇は太陽だと発言しているけど、その太陽に照らされている間に、地上では悲惨な戦争や略奪、異端への弾圧が続き、多くの家族が引き裂かれている。強過ぎる太陽というのは・・・
フェリペ、君の言いたいことはよくわかるが、それ以上の発言は危険だ。
とにかく教皇インノケンティウス3世は歴史の流れを大きく変えています。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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