マルグリット・ド・クリッソン(1)

文字数 966文字

オリヴィエ・ド・クリッソンと対立した娘のマルグリットについて紹介します。作品集は下の画像から入ってください。
彼女に関する画像が見つからなかったので、父と娘の争いの舞台となったジョスラン城の写真を載せておきます。
マルグリット・ド・クリッソン(1372年頃ー1441年)は、百年戦争のフランス・ブルターニュの貴族女性。オリヴィエ・ド・クリッソンと最初の妻カトリーヌ・ド・ラヴァルの次女。
1387年、ブルターニュ公ジャン4世に対抗する父の意向でパンティエーヴル家のジャン1世・ド・シャティヨンと結婚した。しかし、1395年に父とジャン4世が和解、1399年にジャン4世が死去し父が遺児達(ジャン5世、アルテュールなど)の後見人に任命されると、マルグリットは夫を次の公位に就けるべくジョスラン城を包囲、父に後見を撤回させようとしたが、激怒した父が殴り掛かったため逃亡した際、階段から落ちて足を骨折、一生片足が不自由となってしまった。
マルグリットにしてみれば、父クリッソンの考えは理解できなかったと思います。政略結婚させられたのに、なんで今度はジャン4世の遺児たちの後見人になるのかと。でもクリッソンのこのような行動があったからこそ、遺児たちの命は守られました。
パンティエーヴル家にはブルゴーニュ公ジャン1世(無怖公)が味方になり、1406年にマルグリットの息子オリヴィエ・ド・ブロワと無怖公の娘イザベルが結婚、対するジャン5世は妹ブランシュをアルマニャック伯ベルナール7世の息子ジャンに嫁がせた。
ブルゴーニュのバカ息子(無怖公)がこんなところでも絡んでくるのですか?それに私の最初の妻マルトはアルマニャック伯ジャン1世の娘でベルナール7世の叔母になります。
ブルターニュでの争いにブルゴーニュ家まで絡んできてブルゴーニュ派とアルマニャック派の争いにも繋がっていたのですか?ブルターニュでの出来事は1つの地方、個人の争いだけでなくフランスを揺るがす争いになっていたのですね。
アルマニャック派とブルゴーニュ派の内戦ではジャン5世のモンフォール家とマルグリット母子のパンティエーヴル家が両派に分かれ対立、ブルゴーニュ派にパンティエーヴル家の兵も参戦した。
アルマニャック派とブルゴーニュ派の争いの原因にブルターニュでの争いがあったと知って驚きました。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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