エドワード懺悔王(3)

文字数 940文字

エドワード懺悔王についての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
1066年死去。甥で異母兄エドマンド2世の息子エドワード・アシリングを後継者に定めていたが、1057年に亡くなると又甥エドガー(エドワード・アシリングの息子)を改めて後継者に指名した。しかし、若すぎたことから諸侯会議はハロルドをイングランド王に指名、ハロルド2世として即位したが、弟トスティとノルウェー王ハーラル3世、ノルマンディー公ギヨーム2世(エドワード懺悔王の従甥)が反発、最終的にギヨーム2世がイングランド王ウィリアム1世として即位した。
複雑な争いの後、ギヨーム2世がイングランド王ウィリアム1世として即位したわけですね。
エドワードは支配者というよりは、心情としては修道士で、柔弱と無為無策ぶりでサクソン国家を定着させる機会を逸し、彼のノルマン人への信頼はノルマン・コンクエストの下地をつくったとされる一方、後世に徳の高い王者として聖人視され、王朝の守護者として尊崇された。
後継者を残さずに王朝を途絶えさせノルマン朝を招いてしまった王が、後に聖人として崇拝されるというのも変な話です。ラミロ2世が国を守るために粛清を行い、純潔の誓いを破って後継者をもうけたのにもかかわらず、忌み嫌われたのに比べてあまりにも評価が違う、不公平だと思いました。
エドワード懺悔王の信仰心は、1045年から1050年にテムズ河上流に基礎を造られたウェストミンスター寺院によってもうかがい知ることができる。ヘンリー3世以降、イングランド王はエドワードが建てた聖堂で戴冠され、代々の王たちはエドワード懺悔王の法を守ることを誓うこととなった(ヘンリーの王子エドワード1世は懺悔王にちなんで命名されたという)しかし実際のところ、懺悔王自身のものと考えられる法は一つも存在しない。
現代でも戴冠式はウェストミンスター寺院で行われています。
エドワード懺悔王はノルマン・コンクエスト以前の最後の王として「自由なイングランド」に普及していたとされる法を象徴する人物として、年代記において理想化され伝説となった。死から95年後の1161年に列聖された。
次回からエドワード懺悔王の父でイングランド王のエゼルレッド2世(無策王)について調べてみます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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