ナバラの王位継承(4)
文字数 1,347文字
カタリナ(1468ー1517)はナバラ王国の女王(在位1483ー1517)フランス語名はカトリーヌ・ド・フォワ。父はフォワ伯ガストン4世とナバラ女王の長男であるビアナ公ガストン・ド・フォワ。母はフランス王シャルル7世の娘マドレーヌ。兄フランシスコ(フランソワ)が成人せずに早世したため継承者となり、母マドレーヌが引き続き摂政を務めた。
フアン3世(1469ー1516)はナバラ女王カタリナ(カトリーヌ)の共同統治王(在位1484ー1516)フランス貴族アルブレ領主でもあったため、ジャン・ダルブレという名でも呼ばれる。アルブレ領主アランの長子。妹シャルロットはチェーザレ・ボルジアと結婚した。
チェーザレは1506年10月に収監されていたモタ城を脱出して、12月3日に義兄フアン3世の統治しているナバラ王国へと逃れることに成功します。そして1507年、ナバラ王国とスペインとの戦闘でナバラ軍の一部隊を率いてチェーザレは参戦しますが、この戦いで戦死します。
カタリナの即位に対し、カタリナの叔父ナルボンヌ子爵ジャン・ド・フォワは自らの自らの王位継承権を主張してナバラに内乱を起こし、これは1497年まで続いた。ジャンは3年後の1500年に死去したが、その娘でカタリナの従妹にあたるジェルメーヌと再婚したアラゴン王フェルナンド2世(カタリナの祖母レオノールの異母弟にあたる)が1512年に軍勢を侵攻させてナバラを征服し、翌1513年に妻の権利によるナバラ王即位を宣言した。
アラゴン王フアン2世はナバラ王位を譲らずに長男のカルロスと対立し、息子のフェルナンド2世は結婚したジェルメーヌを理由にナバラ王になりました。そしてジェルメーヌの父ジャン・ド・フォワもまたナバラ王位を要求しています。フェルナンド2世とジェルメーヌはもうナバラ王位を狙う執念の塊になっていて、そんな争いに巻き込まれ人質にされて亡くなった私の曾孫というかシャルル7世の娘マドレーヌは本当にかわいそうです。
1515年にピレネー山脈の北側を除くナバラの大部分はフェルナンド2世によって征服され、スペイン王国へ統合されていくことになる。カタリナと夫フアンはフランスへ逃れ、以後はバス=ナヴァールと呼ばれる残余の領土のみを、フランスの保護下で保つことになった。