カルタゴを建設するディド
文字数 1,352文字
ターナーはイギリスで19世紀に活躍した画家です。当時のイギリスは産業革命の後で裕福な市民がたくさんいたので、風景画がたくさん描かれるようになりました。さらに権威であったロイヤル・アカデミーは雄大な景色と遺跡の中に神話や伝説を描いた絵を高く評価していました。
伝説を正確に再現するというよりも、遺跡やエキゾチックな風景を描くというのが当時の流行りだったと思います。そしてターナーはディドとアイネイアースの物語が大好きだったので、カルタゴとディドに関する絵は何枚も描いています。
我々アラゴンの王族は恋をするということがよくわからない。結婚とは子孫を残し領土を広げるためにするもの。いかに条件のよい相手を見つけるかが重要になってくる。余はモンペリエを相続したマリアと結婚して、モンペリエを手に入れた。
別に女王が恋をしてもよい。だが男が旅立ったからといって、悲嘆の余り炎に身を投げて命を絶つというのはやりすぎではないか。余の娘ペトロニーラは20歳以上年上のバルセロナ伯と結婚したが、無事世継ぎに恵まれて女王としての人生を全うした。