マルティン・ルター(12)

文字数 1,069文字

マルティン・ルターについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
ルターはその後、各地のルター派諸侯の間を回りながら領邦教会の成立を進めていった。このころ、信仰教育のためにルターが書いたのが信徒向けの『小教理問答』および教師向けの『大教理問答』であった。同じころ、ルターの改革と国家教会というシステムはドイツを越えて北欧にまで波及するようになっていた。
ルターは諸侯を味方につけ教育の仕組みを整えるという形でうまくやっていますね。
1529年にはカール5世の包囲網を作り上げようとしたヘッセン伯フィリップのもくろみによって、ルターとフルドリッヒ・ツヴィングリは合同のための会談を行ったが、聖餐理解に大きな違いがあったために決裂した。
ルター以外にもいろいろな考えの人がいたけれど、分裂していたということですね。
1529年の帝国議会ではカトリック教会の破壊などの行き過ぎを反省し、ルター派支持諸侯たちの立場を認めながら、カトリック教会の立場も保全するという布告が行われた(一方でアナバプテスト再洗礼派とツヴィングリ派は禁止された)しかし、ザクセン選帝侯を初めとするルター派諸侯はこれに対し抗議を行った。このことからルター派諸侯と諸都市は「プロテスタント(抗議者)」と呼ばれるようになり、やがてルター派の総称となった。
このときからプロテスタントという言葉が使われるようになったのですね。
1530年に行われたアウクスブルクの帝国会議でもカール5世はなお、プロテスタント諸侯との和解の道を模索していた。この議会にはルター自身は法的立場によって参加できなかったが、盟友のメランヒトンが参加していた。この議会においてプロテスタント側は共同して『アウクスブルク信仰告白』を皇帝に提出した。これはプロテスタントによる初の信仰宣言であり、大部分がメランヒトンの手によると言われる。内容を見ると教義についてはプロテスタント側の一致を主眼にしたため、妥協的でわざと曖昧にされた部分が多くみられ、ルター自身は物足りないと感じていたと言われている。
諸侯を味方につけ、信仰宣言を出したことでプロテスタントは力をつけ広まっていますね。
上記のような活動に取り組みながら、ルターは終生ヴィッテンベルク大学における聖書講義を続けた宗教史と思想史、さらに文化史に大きな足跡を残したマルティン・ルターは1546年2月18日に生まれ故郷のアイスレーベンでこの世を去った。
ルターは宗教改革を成功させましたが、その思想や行動については疑問を感じることもあるので、もう少し調べてみます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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