マリー・ド・ブルゴーニュ(2)
文字数 867文字
政略結婚ではあったものの、マクシミリアンとは共に狩りに出かけるなど非常に仲睦まじい夫婦であったという。フィリップとマルグリットの2子(次男フランソワは夭逝)に恵まれるが、第4子を懐妊中の1482年3月、落馬事故で流産した上に大けがを負い、それが原因で3週間後に死去する。
その際、「フィリップとマルグリット2人を公国の相続人に指定し、嫡男フィリップが15歳に達するまで夫マクシミリアンをその後見人とする」という遺言状を書き、家臣へ夫マクシミリアンに仕えるように言い残すが、彼女の意志は守られずブルゴーニュ公国は再び内乱の渦に巻き込まれた。
フィリップは4歳の時に母を亡くして父マクシミリアンは国外追放となり、貴族達に擁立されてフランドルで育ちます。マルグリットは有力貴族とフランス王ルイ11世の密約により王太子シャルルの婚約者として1483年にフランスへ誘拐同然に送られ、以後フランスのアンボワーズ城で、シャルルの年の離れた姉アンヌ・ド・ボージューに未来のフランス王妃として教育されます。1490年に13歳のシャルルがフランス王シャルル8世として即位し、彼は翌年ブルターニュ公国の後継者アンヌ女公と結婚するためにマルグリットとの婚姻を無効にしました。