フアン1世と父ペドロ4世
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アラゴン王家はラミロ2世からフアン1世までは直系でほとんど長男が王位を継いでいましたが、フアン1世と弟のマルティン1世の代で跡継ぎとなる子がいなくなりました。今日はフアン1世と父ペドロ4世について話題にします。作品集は下の肖像画から入ってください。
父上ペドロ4世(1319ー1387)は尊儀王あるいは短剣王と呼ばれました。1336年に父王の死去により王位につきました。1356年からカスティーリャのペドロ1世(残酷王)と『二人のペドロ戦争』を戦いましたがペストなどの自然災害により勝者がなく、1375年のアルマサン条約によって終結しました。
父上が亡くなったのは1387年で68歳、かなり長生きです。私が王位を継いだのは37歳の時です。父上の結婚に反対して対立し、最初の妃を亡くして再婚していた私は最初からやる気はなく、2番目の王妃ビオランテとその寵臣に宮廷を牛耳られていました。
私は父上に反抗する勇気もなく、芸術や趣味の鷹狩りに熱中しました。そして気が付いたら王国の財政は傾き、死んだ時に王にふさわしい立派な棺を作ってもらえなかったという情けない理由で亡霊になってしまいました。