ナバラとアラゴンの関係(4)

文字数 1,068文字

スペイン語の本の資料にあったナバラとアラゴンの関係の続きです。作品集は下の写真から入ってください。
1512  Conquista o anexión de Navarra por Fernando el Católico iniciada el 21 de julio de dicho año,
1512年 フェルナンドカトリック王によるナバラの征服と併合がこの年の7月21日から始まった。
el 9 de septiembre de 1512 Tudela es la última ciudad del Reino en rendirse a las aragonesas del Arzobispo Alonso de Aragón.
1512年の9月9日、ナバラ王国最前線の都市トゥデラはアラゴン人の軍隊とアラゴンの大司教アロンソに降伏した。
El 4 de octubre entra en la ciudad y jura los fueros de la ciudad, dos veces Fernando el Católico.
10月4日にフェルナンドカトリック王がトゥデラに入り、都市の権利について2回話して誓いをたてた。
Los Jaso Azpilicueta, padres de Francisco de Javier, caen en desgracia.
フランシスコ・ザビエルの両親であるハッソとアズピリクエタはこの後不幸が続いた。
この写真はフランシスコ・ザビエルが生まれたハビエル城です。1512年から始まったアラゴンとナバラの戦いでザビエルの一族は翻弄されていきます。
ナバラはこの後スペイン側の領土を失いフランス側の領土だけが残ることになる。
フランシスコ・ザビエルは日本にキリスト教を伝えたことで有名ですが、彼の一族はちょうどアラゴンとナバラの戦いに巻き込まれて翻弄されていきます。
フェルナンドカトリック王はカスティーリャのイザベル女王と結婚していたが、この時はまだアラゴンとカスティーリャはそれぞれ別の王と女王が治める国であった。
ナバラがアラゴンに併合されれば、当然ユダヤ人の追放令も厳しくなりますよね。
ミゲル・セルベートはアラゴンとナバラの争いの時期にトゥデラで生まれ、母親がユダヤ人の家系だったので、トゥデラで生まれたことを隠そうとした、というのがナバラ派の研究者の主張です。そのための資料としてナバラとアラゴンの歴史が長々と出てくるのですが、意外な人物もナバラと関係があることがわかって驚きました。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色