スペイン語で読むアラゴン2代目の王サンチョ・ラミレス(4)

文字数 2,693文字

さあ、今日も張り切って余の父上、サンチョ・ラミレスの生涯をたどっていこう。
あの、同じタイトルが続いて、そろそろ読者の方が飽きてくるのではないかと・・・
父上の業績がたくさんあるのだから仕方がないだろう。
そうですね、ただそうでなくてもアラゴンの歴史とかあまり日本で注目されていないので・・・
父上は中世の王が国をどのように統治したらいいか、その手本となるような生き方をしている。父上の生涯を丁寧に読めば、理想の王がわかるであろう。
そうですね、でも現代の日本人で、中世の王の理想について知りたいと思う人がどれぐらいいるか・・・歴史を大きく変えたとか、逆に酷いことしている人は有名になっているのですけど・・・
そんなことはよくわかっている。さあ始めるぞ。
は、はい。作品集のページはパネル写真から入ってください。
1076  Sancho Ramirez a la muerto de su primo se convierte en rey de Navarra, doblando su territorio y posibilidades económicas.
1076年、サンチョ・ラミレスはいとこの死によりナバラ王となり、王国の領土と財産は2倍に増えた。
1076  La taifa musulmana de Zaragoza paga parias a Aragón.
1076年、サラゴサのイスラム教徒のタイファがアラゴンに租税を払った。
1077  El rey convierte en ciudad la villa de Jaca, le otorga un fuero, que sirvió de modelo para muchas más poblaciones, radica en ella la sed del obispo de Aragón y la convierte en punto fundamental del Camino de Santiago.
1077年、王は都市ハカの改革を行った。他の多くの都市の見本となるような特別市に制定し、そこにアラゴン教会本部の司祭を定住させ、サンティアゴ巡礼の道の重要な拠点とした。
1078  Se inicia la construcción de la catedral de Jaca, modelo de otras construcciones románicas.
1078年、彼はハカの大聖堂の建設を始め、それは他のロマネスク建築の見本となった。
años 80  Sancho Ramirez recibe el vasallaje de Centulo conde de Foix y Bigorre, estableciendo el primer vinculo polí con el norte de los Pirineos.
80年代 サンチョ・ラミレスはフォイクスとビゴレの伯爵セントゥロから家臣になるという申し出を受け入れ、初めてピレネーの北との政治的結びつきを強めた。
1083,84  Se progresa en la amenaza sobre las ricas ciudades Barbastro (con las tomas de Graus, Naval y secastilla) y sobre Huesca (con la de Ayerbe)
1083年~84年、彼は豊かな都市バルバストロ(グラウス、ナバル、セカスティージャを含む)とウエスカ(アエルベを含む)に圧力をかけるため軍隊を前に進めた。
1084  Se trasladan a San Juan de la Peña los restos de San Indalecío, desde Alimeria.
1084年、彼は聖インダレシオの聖遺物をアリメリアからサン・フアン・デ・ラ・ペーニャに移した。
1085  Funda el castillo de Montearagón, como posición avanzada ante Huesca.
1085年、ウエスカに進むためによい位置にあるモンテアラゴンに城を建設した。
1087-89  El reino se expande por el Cinca, con la toma de Estada y Monzón.
1087年~89年、王国はシンカまで広がり、エスタバとモンソンを含んでいた。
質問があります。どうしていとこが亡くなって、サンチョ・ラミレスがナバラの王になったのですか?
その事情についてはパネルではなく、日本語の本『スペイン、レコンキスタ時代の王たち』西川和子著という本に詳しく出ていました。いとこのナバラ王サンチョ4世は、な、なんと殺害されてしまうのです。犯人は・・・
犯人は誰ですか?
殺人事件が起きる時、犯人は関係者であることが多いのです。ナバラ王サンチョ4世殺害事件の真犯人は・・・
もったいぶらないで早く教えてくれ。
真犯人はサンチョ4世の弟と妹でした。実の兄弟の間で殺人事件が起きたのです。王を殺した弟が次の王になることはなく、跡継ぎの子はまだ幼い、そこでいとこのサンチョ・ラミレスがナバラ王も兼ねることになりました。
そんなことがあったのか。
結果、アラゴンはナバラの領土も入ったので大きくなりました。でも、サンチョ・ラミレスはこの事件から考えたと思います。子が多すぎるのは禍のもとになると。
だからラミロ2世は修道院に入れられて権力から遠ざけられたのですね。
たぶんそう思います。
アラゴンの領土がシンカまで広がった時にモンソンも含むとありますが、そこに僕たちが遠足に行ったモンソン城もあったのですか?
何!モンソン城に遠足に行ったとは・・・そんな話、私も修道院長も聞いていない。
詳しくは『モンソン城の歌』を見てください。そして修道院長には内緒にしてください。
モンソンはこの時からアラゴンの領土となり、元はイスラム教徒の城があったのが、テンプル騎士団の城として使われるようになりました。私も行ったことありますが、戦いのための城なので地味です。
あの時は本当に楽しかった。気分がよくてついつい歌まで歌ってしまった。
あのモンソンの時以来、アラゴン王は歌が下手だと言う噂が出たが・・・
いいじゃないか。あの時は本当に楽しかった。長くなったので、今日の話はここで終わりにする。
殺人事件があったり、お城に遠足に行ったり、王家にはいろんなことがあるにゃー。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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