フィリッパ・ド・トゥールーズ(3)
文字数 1,000文字
ギヨーム9世は主君であるフランス王フィリップ1世にフィリッパの名義でトゥールーズ伯領の統治権を主張したが、後に十字軍を利用したベルトランによりトゥールーズを奪還された。1112年、ベルトラン死没後は彼の異母弟に当たるアルフォンス・ジュルダンが5-6歳の幼さで相続しトゥールーズ伯となった際、1113年から1119年までの間、ギヨーム9世はアルフォンスがまだ領主になるには幼過ぎることを主君ルイ6世に主張し、トゥールーズの統治権を得るが、結局トゥールーズを完全に取り戻すことは叶わなかった。
1115年にギヨーム9世は臣下シャテルロー副伯エメリー1世夫人ダンジュルーズを誘拐すると愛人に迎え、宮廷敷地内のモーベルジョン塔に住まわせた。フィリッパは教会や友人に夫からの仕打ちを訴え、夫の愛人ダンジュルーズのアキテーヌの城から追放を試みるが、当時の封建制度による権力関係から味方になってくれる者はほぼ無く、ギヨーム9世が誰の説得にも耳を貸さなかったため、結局愛人の追放は失敗に終わる。
その後ギヨーム9世は教会にフィリッパとの婚姻の無効を申し立てたが、ギヨーム9世と愛人ダンジュルーズは教皇から破門されており、聖務停止となったため、ギヨーム9世は本妻フィリッパとの離婚はもちろん、ダンジュルーズとの再婚も叶わなくなった。
修道院隠棲後、フィリッパはギヨーム9世の前妻で先にフォントヴロー修道院に隠棲していたエルマンガルド・ダンジューと親友になり、2人は交流を重ね、一緒にギヨーム9世への誹謗を言い合って過ごした。しかしフィリッパは自分の信仰や女性の地位向上の理想を叶えるための活動に励んだが、愛人を優遇して自分がアキテーヌ領から退く元凶となった夫に対する怒りと悔しさにより、心静まることはなかった。
修道院に入って明後年の1117年11月28日に死因不明でフィリッパは死去した。