エドワード黒太子(1)
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エドワード黒太子(1330ー1376)イングランドの王太子で、イングランド王エドワード3世とフィリッパ・オブ・エノーの長子。クラレンス公ライオネル・オブ・アントワープ、ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント、ヨーク公エドマンド・オブ・ラングリー、グロスター公トマス・オブ・ウッドストックの兄である。
はい、後の時代に面倒なことになっています。そして父エドワード3世(1312ー1377)はエドワード2世とイザベラ・オブ・フランスの子です。エドワード2世は王妃イザベラが起こしたクーデタで幽閉の身となり、その翌年には議会から廃位されたうえ、王妃の密命で殺害されています。
エドワード3世は1337年にフランス王フィリップ6世がイングランド王のアキテーヌ公領を没収したのに対抗して母の血を根拠にフランス王位を請求してフィリップ6世に宣戦布告したことが100年戦争の始期と見なされています。
1337年に父からコーンウォール公に叙爵され、イングランド最初のduke(princeとともに公爵と訳される貴族位)になった。1339年に百年戦争が始まり、父がイングランドを留守にすることが多くなり、早くから形式的な代理を務め、1343年にウェールズ公(プリンス・オブ・ウェールズ)となったこれ以降王の嗣子すなわち王太子がプリンス・オブ・ウェールズとなることが慣例化した。
1346年にフランス王フィリップ6世が率いるフランス軍を破ったクレシーの戦いでは、16歳ながら一部隊を率いて白兵戦を経験している。以後もカレー包囲戦やウィンチェルシーの海戦などに参加し、いずれも勝利を収めている。また父が1348年に創設したガーター騎士団の一員にも選ばれている。
1355年からボルドーに派遣されアキテーヌにおける領土を拡大し、フランス南部の多くを支配下に入れた。1356年のポワティエの戦いでは、数的に劣勢にもかかわらずフランス王ジャン2世を捕虜とし、大勝利を収めた。