ブルターニュ継承戦争(4)

文字数 1,153文字

ブルターニュ継承戦争についての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
ノーサンプトン伯はパンティエーヴル伯領のブルターニュ北岸に侵攻したが、ラ=ロッシュ=デリアンを獲得したに留まった。1346年になるとエドワード3世はノルマンディに侵攻したため、フランス軍の主力はノルマンディに移動した。ノーサンプトン伯も副隊長のトーマス・ダグワースに託してエドワード3世に加わっている(8月26日にクレシーの戦い)
なんだか本格的にイングランドとフランスの戦いになっています。
クレシーの戦いではボヘミア王ヨハン(カール4世の父)など有名な王や諸侯が戦死しています。
ブルターニュの継承戦争がイングランドとフランスの大きな戦争になってしまったのですね。
6月20日にダグワースのイングランド軍とシャルル・ド・ブロワの間で起きたラ・ロッシュ=デリアンの戦いでシャルル・ド・ブロワは敗北し、捕虜となった。
え、今度はシャルル・ド・ブロワが捕虜になってしまうのですか?
こうしてモンフォール派、ブロワ派ともに当主がいなくなったが、ブロワ派はパンティエーヴル女伯ジャンヌの下で抵抗を続けた。このため、モンフォール伯妃ジャンヌとあわせて「2人のジャンヌの戦い」と呼ばれることがある。
当主がいなくても戦いは続くのですか?
両派の戦いはその後も続き、トーマス・ダグワースは実質的なブルターニュ公代理として、パンティエーヴル伯領に攻勢をかけたが、1350年に戦死している。1351年には両派から30人の騎士が場所、日時を決めて対戦する「30人の戦い」という騎士道物語のような事件も起きており、フロワサールの年代記に記述されている。当然ながら、戦いの情勢には何の影響も与えなかった。
私は騎士道物語は好きですが、実際の戦いはいやですね。
1352年に、フランス側はネスレ卿ギー将軍をブルターニュに派遣し、本格的にブロワ派の支援を再開した。1352年8月のモーロンの戦いでは、ギー将軍はクレシーの戦いの敗戦の教訓から全軍に馬を下りて徒歩での戦いを命じ、イングランド側のロングボウの脅威を減少させようとしたが、激戦の末にイングランド側が勝利を収めた。
フランスは本当にイングランドのロングボウに苦しめられています。
1356年にランカスター公ヘンリー・オブ・グロスモントはブルターニュに入り、レンヌを包囲した。包囲は1357年7月まで続き、ヘンリーは多額の補償金を受け取り包囲を解いた。この時にレンヌ籠城で名を上げたのがブロワ派のブルターニュの騎士ベルトラン・デュ・ゲクランである。ゲクランは、この活躍によりシャルル5世に抜擢されている。
あのベルトラン・デュ・ゲクランもブルターニュ出身だったのか。ブルターニュ出身の者は粘り強く不屈の精神を持っているようだ。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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