ウスタシュ3世(3)
文字数 838文字
そして1098年12月初旬、ウスタシュはレーモン4世とともにマアッラト・アン=ヌウマーンを攻撃し、1099年7月にはナーブルスを攻撃した。1099年7月には十字軍はエルサレムを包囲攻撃し、ウスタシュ3世はゴドフロワとともにエルサレム市街に一番乗りを決め込んだ。攻城塔からエルサレム城壁に乗り込んだウスタシュはエルサレムを守備するムスリム軍と激戦を繰り広げ、彼らを制圧したのちにエルサレム市民の虐殺に一役買った。これはウスタシュ3世の悪名高い黒歴史として知られている。
ウスタシュ3世は仲介役をしているので、強引な暴君ではなかったと思います。そういう人がなぜエルサレム制圧の後に市民を虐殺したのでしょうか?虐殺や殺し合いはキリストが最も憎みんだ行為だと思います。でもキリスト教徒は歴史の中で戦って領土を広げることが最も価値あることのように考え、特に異教徒から土地を取り戻すことが神の意志であるように考えてしまいました。十字軍諸侯が征服した土地で残虐になってしまった原因は、このような思想にあると思います。