マルティーノ1世
文字数 1,728文字
アラゴン王家とシチリアの関係はシチリア王ピエトロ2世の娘レオノーラがアラゴン王ペドロ4世と結婚してフアン1世とマルティン1世が生まれ、ペドロ4世と先妻の娘コンスタンサがシチリア王フェデリーコ3世と結婚して生まれたのがマリアです。
私は不真面目王というあだ名がついているので、弱い人に思われがちですが、実際に戦う機会がなかっただけです。狩猟で体を鍛えていましたので、実践でもそれなりに活躍したはずです。ただ私にはその機会がありませんでした。
1402年にマリアが亡くなった後もマルティーノは単独でシチリアの支配を続けます。そして1403年にマルティーノは後のナバラ女王ブランカと結婚します。この時マルティーノは29歳、ブランカは16歳でした。でも2人の間に生まれたマルティーノ(1403ー1407)は夭折してしまいました。
でも1409年、マルティーノ1世はサルディーニャのカリャリで亡くなります。35歳でした。シチリア王位は父のマルティン1世がマルティーノ2世として継ぎました。でもマルティン1世自身も1410年に亡くなっています。
弟はマルティーノ1世が亡くなった時、すごく悲しかったと思います。シチリア女王とナバラ女王、2人の女王と結婚して孫の成長を楽しみにしていたのに孫と息子が相次いで亡くなってしまう、シチリアの王位を自分が継いでも少しもうれしくなかったはずです。