カール4世(1)
文字数 1,195文字
1306年、ヴァーツラフ3世が暗殺されるとプシュミスル家の男系男子は絶え、その後様々な経緯があったものの、国内で王位継承に同意権を有していたボヘミアの有力貴族たちは、最終的にボヘミア王としてローマ皇帝ハインリヒ7世の子であるルクセンブルク家のヨハンを選んだ。
ルクセンブルク家とプシュミスル家の血を引くチェコ人として生まれたカールであったが、政治に関わる父と母の確執のため、3歳の時に母の手元から引き離され、ロケト城に幽閉され、その後7歳から14歳までの間はパリの宮廷に送られてそこで養育された。これはカペー朝最後の王となるフランス王シャルル4世の王妃マリー・ド・リュクサンブールが父ヨハンの妹だった縁による。
この時の教師はフランス貴族出身のピエール・ロジェ、後の教皇クレメンス6世であり、カールにラテン語や神学を講じ、また帝王学を授けたといわれる。ゆきとどいた教育によって、カールは繊細で教養の高い若者に育った。また、このことは後年、カールがローマ皇帝に選出されるに際して決定的な影響を与える機縁となった。