カール4世(1)

文字数 1,195文字

ヴェンツェルとジギスムントの父カール4世について話題にします。作品集は下の画像から入ってください。
カール4世は1316年5月14日、ボヘミア王国の都プラハで生まれた。母はプシュミスル家最後のボヘミア王ヴァーツラフ3世の妹エリシュカである。
だからヴェンツェルはボヘミア王としてはヴァーツラフ4世になるのですね。
1306年、ヴァーツラフ3世が暗殺されるとプシュミスル家の男系男子は絶え、その後様々な経緯があったものの、国内で王位継承に同意権を有していたボヘミアの有力貴族たちは、最終的にボヘミア王としてローマ皇帝ハインリヒ7世の子であるルクセンブルク家のヨハンを選んだ。
このハインリヒ7世はフリードリヒ2世とアラゴン王女コンスタンサの子ハインリヒ7世とは全く別の人です。
1310年、ヨハンはエリシュカと結婚してボヘミア王となったが、この2人の間に生まれた長男がカールである。カールは最初、伯父や外祖父と同じくヴァーツラフと名付けられた。
ルクセンブルク家とプシュミスル家の血を引くチェコ人として生まれたカールであったが、政治に関わる父と母の確執のため、3歳の時に母の手元から引き離され、ロケト城に幽閉され、その後7歳から14歳までの間はパリの宮廷に送られてそこで養育された。これはカペー朝最後の王となるフランス王シャルル4世の王妃マリー・ド・リュクサンブールが父ヨハンの妹だった縁による。
僕も7歳から15歳まで修道院にある孤児院で育ちました。
父上がそういう経験をしていたなんて全く知らなかった。
余の父上フリードリヒ2世も幼い時に両親は亡くなり、教皇が後見となって育てられた。
余の息子ハイメ1世も幼い時の両親を失い、テンプル騎士団の城で育てられた。
皇帝や王として活躍した人は、意外と幼い時に両親を失ったり親と引き離されて苦労して育ってることが多いようです。
シャルル4世について、カールは後に「王自身はラテン語の知識がなかったが、ラテン語の基礎を学ばせるため、宮廷司祭を家庭教師としてわたしにつけて下さった」と自伝に記している。
よい教育を受けられたことで、カールの人生は大きく変わったと思います。
この時の教師はフランス貴族出身のピエール・ロジェ、後の教皇クレメンス6世であり、カールにラテン語や神学を講じ、また帝王学を授けたといわれる。ゆきとどいた教育によって、カールは繊細で教養の高い若者に育った。また、このことは後年、カールがローマ皇帝に選出されるに際して決定的な影響を与える機縁となった。
フランスの宮廷にいてよかったのかもしれませんね。
パリ滞在期間、彼は代父であるシャルル4世の名をとってヴァーツラフからシャルルと改名し、1329年にはフランス王族のヴァロワ伯シャルルの娘でシャルル4世の従妹であるブランシュを最初の妻に迎えた。なお、ブランシュはヴァロワ朝初代のフィリップ6世の異母妹にあたる。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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