ティコ・ブラーエ(28)
文字数 1,053文字
その後の天文学では、ケプラーは火星の運動についてのティコの記録を使用し惑星の運動についての法則(ケプラーの法則)を推論し、かつてない精度での各種天文表(astromical tables)の計算を可能とした(ルドルフ表)この法則の発見は太陽系における地動説モデルを強力に支援した。
その後、17世紀の天文学においては地球・太陽中心の惑星系モデルが大勢を占めた。この地球・太陽中心モデルは、金星の満ち欠けについて太陽中心モデルと同じように説明することができ、それに加えて恒星にいかなる年周視差も観測されないという地球中心モデルが持つ欠点が存在しなかった。ティコやその他の天文学者はこれを太陽中心モデルを反証していると見ていた。3つあった主要な地球・太陽中心モデルは、ティコのモデル、フランシス・ベーコン等に支持されたような水星と金星だけが太陽を周回するカッペルのモデル、そして水星、金星に加え火星も太陽の周りを周回し、土星と木星だけが不動の地球を周回するというリッチョーリにカッペルのモデルの拡張版である。地球を日々自転させる「セミ・ティコ」版として知られる形ではあったが、これらのモデル中では、ティコのモデルがおそらく最も一般的であった。
セミ・ティコ版のモデルは、ティコの元助手かつ弟子であったロンゴモンタヌスが1622年の『Astronomia Danica』において主張した。これはティコの観測データを用い、彼の惑星モデルの完成を意図したものであり、完全なティコの惑星モデルの規範とみなされた。ロンゴモンタヌスの作品は重版が重ねられ、後の多くの天文学者によって採用された。そしてロンゴモンタヌスを通じてティコの体系は遠く中国の天文学者たちによっても採用された。