アルベルト・ブルゼフスキ(1)
文字数 894文字
アルベルト(ポーランド語の「ヴォイチェフ(Wojciech)」に対応する人名)は1445年頃生まれた。自らについて彼はよくde Brudzewoと署名した。(ポーランド語の姓-skiは、フランス語のde...やドイツ語のvon...に相当する。ポーランド語では文法の構造からフランス語のde、ドイツ語のvon、英語のofに相当する前置詞を使う必要がないため、de、von、ofに相当する前置詞が存在せず、代わりに語尾を-skiや-skaと変化させることでそれらの前置詞と同じ意味を表現できる)
若い頃のことは定かではなく、一般の学生よりも遅く23歳でクラクフ大学に入学したことだけがわかっている。彼はほぼ一生の間クラクフ大学で働いた。大学では20年にわたり教鞭を取り、その間学部長、学生監、ハンガリー人学生寮の寮長を務めた。
アルベルトは優れた先生として人気があった。数学と天文学を主に教えていたが、それにくわえて文学に詳しいことで学生たちを魅了した。知的好奇心が旺盛で、40代半ばだった1490年には神学の学士号も取得している。アリストテレスの哲学の講座も受け持っていた。アルベルトの講義に通った学生たちのなかには、1491年に入学してきたニコラウス・コペルニクスがいた。天文学では最新の資料を入手して学生たちに紹介するなど、近代的な教授法を確立したことで大いに評価された。