イングランド王スティーブン(1)
文字数 1,035文字
幼年期は母方の叔父であるイングランド王ヘンリー1世の宮廷で育てられ、1120年のホワイトシップの遭難では従弟のウィリアム・アデリンと一緒にホワイトシップ号に乗船する予定だったが、直前に病気になったため同行できず難を逃れた。以後も叔父に可愛がられ、1125年には叔父の計らいでブローニュ伯イスタシュ3世の娘マティルド(英名マティルダ)と結婚しブローニュ伯位を継承した。ブロワ伯は兄ティボー4世(シャンパーニュ伯としてはティボー2世が継承している)
スティーブンは兄がいてブロワ伯を継がない立場だったからヘンリー1世の宮廷で育てられヘンリー1世にも可愛がられています。でもヘンリー1世の嫡子ウィリアム・アデリンが遭難死してヘンリー1世の計画は大きく変わってしまう、歴史は皮肉です。
1人息子ウィリアム・アデリンを失ったヘンリー1世には、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世に嫁いでいた娘でウィリアムの姉マティルダ(モードは愛称)が唯一の摘出子となった。そのため、夫と死別したマティルダを1125年に呼び戻して王位継承者とし、1128年にはノルマンディーに隣接するアンジュー伯フルク5世の息子ジョフロワ4世と結婚させていた。この間ヘンリー1世は王族、貴族たちとマティルダへの王位継承を認める誓約を交わしたが、スティーブンも誓約した王族の1人で1126年・1127年に誓約した(他にはヘンリー1世の庶子でマティルダの異母兄のグロスター伯ロバート、マティルダの母方の叔父に当たるスコットランド王デイヴィッド1世もいた)