クレメンス7世(1)

文字数 869文字

ローマ教皇クレメンス7世についてです。作品集は下の画像から入って下さい。
セバスティアーノ・デル・ピオンボが1526年に描いた『クレメンス7世の肖像画』カポディモンテ美術館所蔵、と書いてありました。
クレメンス7世(1478年ー1534年)はローマ教皇(在位1523年ー1534年)メディチ家の出身で、本名はジュリオ・デ・メディチ。パッツィ家の陰謀で殺害されたジュリアーノ・デ・メディチの遺児であり、母はフィオレッタ・ゴリーニ。2代前のレオ10世の従弟に当たる。
ジュリオは庶子でしたが、メディチ家に引き取られて大切に育てられていました。
ヘンリー8世の離婚問題を承認した、ケンブリッジ大学教授(後にカンタベリー大司教になる)のトマス・クランマーとヘンリー8世を破門した。
クレメンス7世はいろいろな場面で歴史的事件と深く関わっていますね。
教皇レオ10世の下で枢機卿として有能な手腕を発揮していたが、教皇に即位した後は不安定な国際情勢に翻弄され、ローマ略奪の惨事を招く。宗教改革という事態に対しても何ら有効な手が打てず、メディチ家の権益擁護に終始した。
大変な時代に教皇になって大変な経験をしてその結果無能扱いされたのは気の毒でもあります。
芸術・文化のパトロンという面では、枢機卿時代にラファエロを引き立て、1520年に政敵であるマキャベッリに『フィレンツェ史』の執筆依頼をしている。後には天文学者コペルニクスの研究も支援した。晩年にはフィレンツェからミケランジェロを呼び寄せ、システィーナ礼拝堂の壁画の作成を依頼する(ミケランジェロは気が進まず、実際に「最後の審判」を手掛けたのはクレメンス7世死後の1536年から1541年である)
歴史的に重要な人物と関りがあり、ミケランジェロが『最後の審判』を描くきっかけを作っているというのはすごいです。
僕は1518年生まれで今15歳だから1533年、10年後にローマに行けばシスティーナの壁画も完成していて『最後の審判』を見ることができます。クレメンス7世やミケランジェロは僕より少し前の世代の人になります。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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