ダンジュルーズ・ド・リル=ブシャール(2)
文字数 740文字
ダンジュルーズについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
具体的な年月日は不明であるが、ダンジュルーズはシャテルロー副伯エメリー1世と結婚した。彼女は夫に1109年の憲章で財産をサン=ドニ=ド=ヴォー修道院に寄付するように助言した。ダンジュルーズは自分の意思を貫き通し、他の貴族たちの世論を喜び好まず、ほとんど気にしない女性であったとされる。
エメリー1世についてもかなり詳しく記録は残っています。
夫エメリー1世との間に5子(2人の息子と3人の娘)をもうけた。
・ユーグ(1176年以前没)エメリー1世の後にシャテルロー副伯位を継承。
・ラウル(1190年没)アキテーヌの偉大なセネシャル(官僚)となる。フェイ=ラ=ヴィヌーズ女領主エリザベートと結婚した。
・アエノール(1103年頃ー1130年)アキテーヌ公ギヨーム10世と結婚。アリエノール・ダキテーヌとペトロニーユ・ダキテーヌの母
・アマブル、タイユフェル家のアングレーム伯ヴェルグラン2世(1140年没)の2番目の妻。
・アワ、ピエール=エリー・ド・ジョヴィニーと結婚した。アンドレ・ド・ジョヴィニーの母
ダンジュルーズはギヨーム9世の愛妾になる以前、エメリー1世と約7年間結婚していた。ダンジュルーズの「誘拐」は当時、不名誉かつ有名なスキャンダルであった。
エメリー1世との間に立派に成長した子がたくさんいるのに、なぜギヨーム9世の愛人になったままでいたのか、私には理解できません。
夫エメリー1世との間に生まれた娘アエノールがギヨーム10世と結婚してアリエノール・ダキテーヌの母となっているので、結果としてダンジュルーズもまたギヨーム9世やフィリッパと同じように有名な王侯貴族の祖先となっています。
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