タンクレード・ド・オートヴィル(1)

文字数 954文字

オートヴィル朝の祖となったタンクレード・ド・オートヴィルについてです。作品集は下の画像から入ってください。
タンクレード・ド・オートヴィルの石像と書いてありました。
タンクレード・ド・オートヴィル(990年頃ー1041年頃)はオートヴィル家の始祖。イタリア語名ではタンクレーディ・ダルタヴィッラとなる。
かなり昔の人ですね。
この人物の子孫はシチリア王国だけでなくいろいろな国と繋がっています。
タンクレードの生涯についてはほとんど知られていない。コタンタン半島の街クタンスのノルマン系の一貴族であった彼は、おそらくオートヴィル=ラ=ギシャールの村を所有していた。タンクレードは2人の妻によって12人もの息子を残し、その多くが南イタリアにおいて重要な諸侯となった。
コタンタン半島はフランス北西部にある半島で日本ではノルマンディー半島とも呼ばれています。
そんな辺境の地に住んでいた一族が多くの国が狙っていたシチリアの王となるのか。
1010年頃、ミュリエルとの結婚では以下の子をもうけた(/の後はイタリア名)

・鉄腕ギヨーム/グリエルモ、プッリャ伯(在位1042年ー1046年)

プッリャ伯については次のように書いてありました。

1042年、サレルノ公グアイマーリオ4世は、ノルマン人たちによって「プッリャ・カラブリア公爵」に推載された。グアイマーリオはその見返りとして、アルタヴィッラ家の家長であった鉄腕グリエルモをメルフィの伯爵に任命した(後のプッリャ伯領)

1043年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世はグアイマーリオ4世から公爵位を剥奪した。ハインリヒ3世はグリエルモの弟であるドロゴーネにイタリア公及びアプーリアとカラブリアのノルマン人伯の称号を与え帝国の直接の封臣とした。

・ベアトリス(1010年頃ー1101年頃)ウー伯ロベールの息子アルマン(ノルマンディー家、モンテスカリオーゾ伯家祖)と結婚

・ドロゴン/ドロゴーネ、プッリャ伯(在位1046年ー1051年)

・オンフロワ/ウンフレード、プッリャ伯(在位1051年ー1057年)

・ゴドフロワ/ゴッフレード、ロリテッロ伯

・セルロン/セルローネ、ノルマンディーに残留、息子セルローネ2世(1072年没)は叔父ルッジェーロのもとで戦う。

タンクレードの子についてはまだまだ続きます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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