スペイン語で読むアラゴン2代目の王サンチョ・ラミレス(3)
文字数 1,642文字
さあ、今日も張り切って余の父上、サンチョ・ラミレスについて語っていこう!
スペイン語のパネルに入る前に1つ話題にしたいことがあります。
ここで使われているチャットノベルという形式についてです。
最初はこの時代ならではの新しい形式に戸惑ったが、今ではすっかり気に入っている。ここでつぶやくことが毎日の日課になっている。
小説では書き表せない余の複雑な心境が表現できてよい。
最近のファンタジー小説はハインリヒ7世ばかり出てくるではないか。
私は目立たないキャラですが、それでもここで呟けるのはうれしいです。
このようにたくさん利点のあるチャットノベルですが、対話形式の本は昔から書かれていました。ルネサンス期にはブームになったほどです。
僕たちの生きていた16世紀にはチャットノベル、ではなくて対話形式の本がたくさんあったのですね。
16世紀の医者で神学者のミゲル・セルベートという人が21歳の時に『三位一体説の対話』という本を出版しています。詳しくは写真を押して作品集の中のエッセイを見てください。
では今からパネルの続き、サンチョ・ラミレス王の生涯に戻ります。
1071 Se inicia la reforma eclesiastica del reino, en San Juan de la Peña se utiliza por primera ves en España, el rito litúrgico romano, se establece el sistema de diezmos, base de la economía eclesial.
1071年、彼は王国の教会改革を始め、サン・フアン・デ・ラ・ペーニャでスペインでは初めてローマ式の礼拝儀式を取り入れ、十分の一税の制度を確立し、それが教会経済の基礎となった。
Se introduce la reforma cluniaciense benedictiana para los monasterios del interior (San Juan de la Peña y San Victorián) y la orden de San Agustín para los de frontera (Loarre, Montearagón, Alquezar)
彼はベネディクト派クリュニー会のやり方を国内の修道院(サン・フアン・デ・ラ・ペーニャとサン・ビクトリアン)取り入れ、サン・アゴスティンの軍隊を国境付近に派遣した(ロアレ、モンテアラゴン、アルケサール)
1072 El conde Sancho Galíndez construye a sus expensas la iglesia de Iguacel, primer edificio de estilo románico internacional en Aragón.
1072年、サンチョ・ガリンデス伯爵は私財を使って、アラゴンでは初めてのロマネスク様式の教会をイグアセルに作った。
余の父上、サンチョ・ラミレスの時代にアラゴンは真にアラゴンとなった。父上は巡礼の旅でローマに行き、教会儀式を積極的に取り入れ、修道院の改革も行った。アラゴン王国繁栄の基礎が、父上の時代に作られた。
日本人の感覚だとあんまりピンとこないのですが、とにかくサンチョ・ラミレスは国の仕組みを整えた偉大な王だったようです。
だが、余は王になるための教育は全く受けてなかった。偉大な父上の政治手腕を何1つ受け継ぐことができなかったのが、悲劇の原因だった。
それは余も同じだ。もっと長く父上のそばで暮らしていたならば、おそらく仲たがいして反乱を起こすこともなかったであろう。
僕も王様の家ではないけど、父さんに捨てられるような形で修道院に入れられ、父さんの持っていた知識とか、伝えられてきた教えとかきちんと受け継ぐことができませんでした。
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