スコットランド王ジェームズ4世(1)
文字数 952文字
1488年、ソーキバーンの戦いで死んだ父の跡を継いで15歳で即位。ソーキバーンの戦いでは反乱軍の名目上の指導者となっていたのであるが、父の死に際して自分が演じた役割に気付いて、四旬節のたびごとにシリスを着用して自らの罪の償いを行った。
余は教皇にそそのかされ、父上フリードリヒ2世に対して反乱を起こした。すぐに負けて捕らえられ、王位を剥奪されて目を潰され幽閉された。冷静に考えれば叛乱を起こしても勝ち目はないのに、教皇に言われてその気になったこと深く後悔した。
僕は今15歳ですが、15歳のジェームズ4世は政治のこととかよくわからずに言われるままに反乱軍の指導者になり、後で自分のしたことの意味がわかって苦しんでいます。若くて未熟な時に判断を誤って父を殺した罪を背負わなければならなくなる、本当に気の毒です。
イングランドとは1502年に平和条約を締結し、1503年にヘンリー7世の娘マーガレット・テューダーとホリールード寺院で結婚式を挙げた。2人の間には4男2女が生まれたが、成人したのは三男のジェームズ(後のジェームズ5世)だけだった。
ジェームズ4世がイングランドと平和条約を結んだというのはすごいです。今までずっとイングランドとの関係は支配されそうになったり、王が捕虜になったりという感じでした。ジェームズ4世は王位を守ってスコットランドを安定させ、1つの国として認められるところまでスコットランドの地位を上げてヘンリー7世の娘マーガレットと結婚しているのです。これはすごいことです。