ティコ・ブラーエ(14)

文字数 1,006文字

ティコ・ブラーエについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
ティコはデンマーク王室から多大な支援を受けており、それは1580年代における年間歳入の1パーセント程度に相当する規模であった。ティコはしばしば城で大規模な懇親会を開催した。
それだけ支援しても財政が傾かなかったというのがうらやましいです。
数学者ピエール・ガッサンディは、ティコはまたヘラジカを飼っており、ティコの教師であったヘッセン=カッセル方伯ヴィルヘルム4世はティコにシカよりも早い動物がいるかどうか尋ねたと書き記している。ティコは、それはいないと返したが、彼は飼育していたヘラジカを送ることができた。ヴィルヘルム4世はウマと交換でヘラジカを受け取ると答えたが、ティコはヘラジカがランズクルーナの貴族を楽しませるためにそこを訪問している最中に死亡したという悲しい報せで答えた。そのヘラジカはディナーの最中、大量のビールを飲んだ後に階段から転落死したと思われる。
珍しい動物を飼っていたというのはルドルフ2世にも似ています。
ヴェン島を訪れた多くの貴族たちの中には、デンマーク王女アンと結婚したイングランド王ジェームズ1世(スコットランド王としては6世)がいた。彼は1590年にヴェン島を訪れた後、ティコ・ブラーエとアポローン及びパエトーンを比較した詩を書いた。
ジェームズ1世はティコ・ブラーエを高く評価しているようです。
王に邸宅を下賜されたことの対価である義務の一部として、ティコは王室の占星術師としての役割を果たした。毎年、年初に宮廷に暦(Almanac)を提出し、その年の政治と経済に星々が及ぼす影響を予測する義務を負った。また王子たちが生まれた時には、彼らのためのホロスコープを用意し、彼らの運命を占った。
占星術が信じられていた時代だから、天体観測を行ってより正確に星の動きを知り、その影響を伝えることができたのですね。
彼はまた、かつての教師であった地図作成者アナス・サアアンスン・ヴィーゼルと共に、デンマークの全領土を地図化するための旅行を行った。王の親族であり、王妃ソフィー(ティコの母ビエーデ・ビレと義母インガー・オクセはともにゾフィーの宮廷のメイドをしていたことがあった)と親しかったため、ティコはヴェン島とウラニボリが彼の相続者の手に渡るという約束を取り付けた。
ティコ・ブラーエは天体観測以外にもいろいろなことをしたようです。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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