エルマンガルド・ダンジュー(4)
文字数 620文字
エルマンガルドは結婚当初は離婚を希望したものの、アラン4世との結婚生活は、1112年に夫がブルターニュ公位を退き、ルドンのサン=ソヴール修道院の僧となるまで続いた。
アラン4世の引退後は長男のコナン3世(1105年~1148年)がブルターニュ公を継承した。
夫アラン4世が僧籍に入ったことにより離婚となり、エルマンガルドがフォントヴロー修道院で隠棲する障害はなくなった。
その後、念願叶い、レンヌの司教マルボダスから尼僧となる許可の手紙を受け取り、フォントヴロー修道院に入ることになった。
エルマンガルドはマルボダスから「唯一無二の最も麗しき方」と賛辞を送られた。
1114年、前夫ギヨーム9世の後妻、トゥールーズ女伯フィリッパ(トゥールーズ伯ギヨーム4世の娘)もまたギヨーム9世が封臣シャテルロー副伯エメリー1世妃アモーベルジュことダンジュルーズを愛妾とし、居城の敷地内に住まわせたことにより、ポワティエの城を去り、フォントブロー修道院に隠棲していた。