フィオーレのヨアキム(2)

文字数 980文字

フィオーレのヨアキムについての続きです。作品集は下の画像から入ってください。
ヨアキムの聖書解釈は終末論をふくみ、著作『三位一体論』は1215年に異端の判決を受ける(詳しくはヨアキム主義参照)
1215年はラテラン公会議が行われた年です。教皇インノケンティウス3世が第1ニカイア公会議のような古代の偉大な公会議に匹敵する公会議をローマに実現したいと望み、多くの参加者を招きました。1215年11月11日に始まった会議にはドイツ、フランス、イングランド、アラゴン、ハンガリー及び東方十字軍諸国の国王たちの使節、南フランスの領主、イタリア都市の代表者、400人を越える司教、800人以上の修道院長など1500人以上が出席しました。インノケンティウス3世は公会議で「教皇は太陽、皇帝は月」と演説したことでも有名です。
異端とされるかどうかは、教皇の考え方や公会議が行われたかどうかで違ってくるのですね。
余はインノケンティウス3世には深い恨みがある。この教皇がアルビジョア十字軍を呼びかけ、争いに巻き込まれた余も破門されてしまった。
しかし生前の彼は幾人もの教皇によって著述の権限を与えられ、すべての著作は教皇の認定下におかれている。ヨアキムが設立したフィオーレ修道院はホノリウス3世によって、正統的信仰を守っていると保証された(1220年)
ホノリウス3世はインノケンティウス3世の次の教皇です。
著作が異端とされていても修道院については問題にならなかった、教皇の考え方でかなり違ってしまうのですね。
彼はシラ山やサン・ジョヴァンニ・イン・フィオーレにおいて地方的な祭式によって尊崇されていたに過ぎないが、1240年以降フランチェスコ会の急進派がヨアキムの著作の中に自身の修道会とその画期的な使命が予告されていると考え、ヨアキムの名がイタリア全土に流布されるようになる。
ヨアキム自身はそこまで考えていなくても、フランチェスコ会の急進派によって、彼の著作は利用され、有名になってしまったわけですね。
彼自身は異端と宣告されたことはなく、また逆に聖者として列聖されることはない。あらゆる異端史の中で扱われながら、ヨアキムの著作は1688年に教皇庁によって公刊された『Acta Sanctorum』(キリスト教の聖人に関する文書)に収録されている。
次回、ヨアキム主義について話題にします。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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