アルマニャック伯ベルナール7世(1)

文字数 1,374文字

アルマニャック伯ジャン1世の孫のベルナール7世について紹介します。作品集は下の画像から入ってください。
ベルナール7世のシールです。
ベルナール7世(1360年ー1418年)は百年戦争期のフランスの貴族、軍人。アルマニャック伯。フランス王国軍総司令官。アルマニャック伯ジャン2世とジャンヌ・ド・ペリゴールの次男でジャン3世の弟。
ベルナール7世は私の義理の甥になります。
ベルナール7世はベルトラン・デェ・ゲクランの指導を受け軍人として成長、1391年に兄が亡くなりアルマニャック伯となった。
ベルナール7世は兄がいたから最初は軍人として育てられたのですね。
あの顔は醜いがフランス軍で最強のゲクランの指導を受けられるとは運がいい。ベルナール7世も強くなるだろう。
1407年にオルレアン公ルイがブルゴーニュ公ジャン1世(無怖公)に暗殺されるとルイの長子でオルレアン公位を継承したシャルルを筆頭とするオルレアン派と無怖公を筆頭とするブルゴーニュ派の内乱は激化した。
オルレアン公ルイはシャルル5世の子でシャルル6世の弟です。
王弟を暗殺するなんてとんでもないことです。無怖公というあだ名はニコポリスの戦いの時に突撃を主張してつけられたようですが、ただの馬鹿です。捕虜になって莫大な身代金を払ってもらってフランスに帰国し、今度は王弟を暗殺する、ロクなことやっていません。
温厚なフアン1世にしては珍しく激しい口調だ。
私の義理の孫シャルル7世は無怖公に苦しめられてきました。
1410年4月、オルレアン公とベルナール7世を始め舅のベリー公ジャン1世、ブルターニュ公ジャン5世、相婿のブルボン公ジャン1世と息子のクレルモン伯シャルル、アランソン伯ジャン1世ら大貴族の間でジアン同盟が結成された。この同盟は無怖公やイングランド王ヘンリー5世に対する政治的、軍事的同盟であった。
ブルターニュ公ジャン5世はアルテュール・ド・リッシュモンの兄です。
ベルナール7世は1410年8月に長女ボンヌをオルレアン公と結婚させ、彼の舅としてブルゴーニュ派と戦った。そのため、オルレアン派はアルマニャック派とも呼ばれる。
ベルナール7世の娘ボンヌとオルレアン公との結婚が重要になってくるのですね。
オルレアン公は1415年のアジャンクールの戦いで捕虜になるので、ボンヌとの間に子は生まれませんでした。
ベルナール7世はブルゴーニュ派との内乱において活躍し、1411年にサン=ドニを落とし、1413年には無怖公に協力的であった食肉商シモン・カボシュ(シモン・ル・クートリエ)率いるカボシャン党の占拠するパリを窺い、4月にカボシュの反乱でパリが混乱、ブルゴーニュ派に反発した国王シャルル6世とルイ王太子の救援に応じて8月にパリへ入りカボシャン党の蜂起を鎮圧、無怖公はパリを退去した。
カボシャン党の蜂起の時は国王シャルル6世とルイ王太子が味方についているのだから、アルマニャック派がかなり有利だと思いますが・・・
こうしてパリはアルマニャック派の支配するところとなり、1414年2月にパリに残るブルゴーニュ派を排除して、無怖公を反逆者と認定、ブルゴーニュ派の都市を落としていった所で9月にブルゴーニュ派と和睦した。
この時まではアルマニャック派が有利でしたが、1415年のアジャンクールの戦いで変わってしまいます。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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