シャルル・ド・ブロワ

文字数 1,738文字

ジャンヌの夫であったシャルル・ド・ブロワについて紹介します。作品集は下の画像から入って下さい。
シャルル・ド・ブロワ(1319年ー1364年)はフランス王国の貴族。シャティヨン家出身でブロワ伯ギー1世・ド・シャティヨンとマルグリット・ド・ヴァロワ(ヴァロワ伯シャルルの三女でフィリップ6世の妹)の子。マイエンヌ男爵、ギーズ領主であったが、ジャンヌ・ド・パンティエーヴルとの結婚によってパンティエーヴル伯とブルターニュのベリストル(摂政位)にもなった。
1337年6月4日、パリにてシャルルはジャンヌと結婚した。ジャンヌはパンティエーヴル伯ギーの娘でブルターニュ公ジャン3世の姪、アルテュール2世の孫娘にあたった。結婚の条件は、シャルル・ド・ブロワが子のないジャン3世の後継者となって公位を継承することだった。
シャルル・ド・ブロワはいい条件でジャンヌと結婚していますね。
ジャン3世は存命中に自分の後継を明確にしなかったため、1341年の彼の死によって、2派にわかれて争う23年間におよぶ血なまぐさい戦争が引き起こされた(ブルターニュ継承戦争)。コンフランの裁定により、フィリップ6世は甥シャルルをブルターニュ摂政にしてブルターニュ公であると認定し、彼の忠誠を受け入れた。ほとんどの領主や男爵らが自分たちの主権者の相続人シャルルに対して忠誠を誓わなければならないが、ジャン3世の異母弟でジャンヌの叔父ジャン・ド・モンフォールは自らが公国の継承者だと主張した。
最初はフィリップ6世の甥であるシャルル・ド・ブロワの方が有利で、ジャン・ド・モンフォールだけが自分が継承者だと主張しているようですが・・・
1341年10月、シャルルはノルマンディー公にしてフランス王位継承予定者ジャン(後のジャン2世)と共にジャン・ド・モンフォールに対して公国への権利を主張すべく進軍した。
フィリップ6世と王位継承者ジャンの2人がシャルル・ド・ブロワの味方だったわけですか。
1344年、シャルルはカンペールを攻略したが、3年後の1347年6月18日、ラ・ロッシュ=デリアンの戦いでイングランド軍の捕虜となった。彼がロンドン塔に投獄されている間、妻のジャンヌ・ド・パンティエーヴルがジャンヌ・ド・フランドル(ジャン・ド・モンフォールの妻)との戦いを続けていた。イングランドでほぼ9年間囚われの身であった彼は1356年8月10日に釈放された。釈放にあたって70万フローリンの身代金支払いを約束させられているが、彼が戦死する前に一部の支払いが行われている。
カンペールが攻略された時、1400人から2000人の住民が虐殺され、守備兵がパリに送られ叛逆者として処刑されたとブルターニュ継承戦争のところに書いてありました。
この長い戦いの間に、時のフランス王はブロワ側を支持し、イングランド側はモンフォール側を支持した。戦争開始から23年経った1364年9月29日にシャルルはオーレの戦いで戦死した。これが切っ掛けで翌1365年にゲランド条約が締結、ジャン・ド・モンフォールの息子がブルターニュ公ジャン4世と認められ、彼の家系であるモンフォール家が継承、後継者が途絶えた場合はシャルルとジャンヌ・ド・パンティエーヴル夫妻の子孫に移ることなどが決められた。
ロンドン塔に投獄されていた約9年間の彼の献身のため、1904年にシャルルはカトリック教会から列福された。
シャルル・ド・ブロワは列福されたのですか?彼はカンペールを攻略した時住民を虐殺し、守備兵を処刑しました。戦略とは言え、まるで軍隊を動かすような感覚で大勢の人間を虐殺することは罪にはならないのでしょうか?モーゼの十戒に殺してはならないと書いてありますし、キリストも同じことを言っているはずです。でもそうではなくなってしまいました。僕たちの時代もそうですが、目的のためには手段を選ばずに人を殺すこともためらわない、でもそれは神の教えからは外れていると思います。シャルル・ド・ブロワだけが特別残酷だったというわけではないでしょうけど・・・
現代でもその傾向は続いています。勝った者、成功した者が正しいと思われがちで、間違った解釈や思い上がりが悲惨な状況を引き起こしています。
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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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