ジャン・カルヴァン(3)

文字数 966文字

ジャン・カルヴァンについての続きです。作品集は下の画像から入って下さい。
1553年、カルヴァンの手の者によって異端者として告発された旅行中の神学者ミゲル・セルベートは、ジュネーヴ市当局によって生きながら火刑に処された(のちにカルヴァンは『セルベートの誤謬を正す』『聖三位一体についての正統信仰の弁護』で火刑は本意ではなかったと説明したが、セルベートの生前、カルヴァンは「セルベートがジュネーヴに来たら、生きて去らせることはしない」と周囲に語っていた)
この時の事情をもう少し詳しく説明すると、ミゲル・セルベートは1541年から1553年までの12年間、大司教に招かれてドーフィネのヴィエンヌへ行き、上流階級の人と交流するだけでなく、貧しい人に医療を提供する奉仕団体の団長を務めるなど充実した日々を送っていました。ヴィエンヌにいた時にカルヴァンと手紙のやり取りをして互いの著作や原稿を送り、カルヴァンの予定説に対して「この説は人間を丸太や彫像のようにしてしまう」と書き、カルヴァンを激怒させます。

7年後、セルベートは『キリスト教の復興』を匿名で出版しますが、運悪くその本がカルヴァンの手に渡ってしまい、フランスの異端審問所に密告されます。ヴィエンヌにはセルベートを慕う友人が数多くいたのですぐに脱獄できましたが、4か月後にジュネーヴに姿を現して拘束され、2か月半後に処刑されました。彼がなぜジュネーヴに行ったかはわかっていません。

なお処刑に先立ち、カルヴァン側はセルベートの処遇を同盟都市に訊ねた。集まった意見は厳重な処置に賛成するものであったが、死刑をすすめるものは一つもなかった。この事件に対してはセバスチャン・カステリオンなど反カトリック陣営がカルヴァンを非難した。
カステリオンは最初ジュネーヴでカルヴァンと一緒に改革を進めていましたが、意見が対立するようになりジュネーブを離れました。カステリオンは本の中で次のように書いています。

「セルベートはペンで攻撃してきた。それなのにカルヴァンよ、あなたは暴力で応じた。教義を守るために人を殺したら、それはもう教義を守ったのではなく、ただの人殺しである」

1555年にはカルヴァン派の市長が4人になった。

1564年5月27日、死去。没後の1667年には著作全集がアムステルダムで刊行された。

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登場人物紹介

ラミロ2世。アラゴンの王様だったがいろいろあって今は亡霊となっている

ペトロニーラ。アラゴン女王の名前を使っているがただの主婦。小説家になりたいと思っている。

フェリペ、16世紀のスペインの修道院で暮らすユダヤ人の少年。父親に捨てられて心を閉ざしていたが、ニコラス医師の指導で本来の明るさを取り戻す。まじめで勉強熱心。

ニコラス医師。修道院内の病院の医師で、孤児たちに勉強も教える。心を閉ざしていたフェリペを気にかけ、特別にラテン語や歴史、医学の基礎なども教える。

フアン1世。不真面目王と呼ばれ業績を残さずに死んだが、娘のヨランド・ダラゴンが勝利王シャルル7世を支えている。

ハインリヒ7世。皇帝フリードリヒ2世の長男でアラゴンの血も引いている。父と対立して反乱を起こし降伏して目を潰され。幽閉されて悲劇的な人生の幕を閉じる。

ペドロ2世。ラミロ2世のひ孫でレコンキスタの英雄。戦闘能力はかなり高く、ファンタジー映画やゲームの中では主要キャラになるタイプだが、なぜか小説の中で影が薄い。

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